欧米の評価
ジョイス・C・レブラ(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)の言葉
日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。

いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。

民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。

そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)

さらに、日本は独立運動を力づけ、民族主義に武力を与えた。

日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。

東南アジアの人間はいまや武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。

(「東南アジアの解放と日本の遺産」秀英書房256〜7ページ)
ジョージ・S・カナヘリ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)の言葉
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。
(中略)
インドネシア人が准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。

インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。

これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立を戦う際の基盤となった。

日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

(後藤乾一訳「日本軍政とインドネシア独立」鳳出版社 186ページ)
オーエン・ラティモア(アメリカ国際政治評論家)の言葉
「真珠湾以降最初の二年間の日本の勝利は、
アジアの勢力をはかる古い標準をうち毀し、
手に負えなくなったアジアが残った」
「日本が立派に やりとげたことは、アジアにおける植民地帝国の19世紀的構造を破壊したことである」              (The Situation in Asia)
ドゴール将軍(後のフランス大統領)の言葉
シンガポールの陥落は、白人植民地主義の
長い歴史の終えんを意味する
         
 (亡命先のロンドンでシンガポール陥落を知った日の日記より)
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)の言葉
第二次大戦において、日本人が日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。イギリス人もフランス人もアメリカ人も、ともかくわれわれはみな将棋倒しにバタバタとやられてしまった
(1956年(昭和31年)10月28日、英紙「オブザーバー」)




英国最新最良の戦艦二隻が日本空軍によって撃沈されたことは、
特別にセンセーショナルをまき起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対して、西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の士気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。
(昭和43年3月22日 「毎日新聞」)


H・G・ウェルズ(イギリス 歴史学者)の言葉

この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の基石をおいた





ルイス・マウントバッテン大将(イギリス軍東南アジア総司令部司令官)の言葉


「かつて不敗を誇った日本軍も、半年の死闘に、戎衣も靴もボロボロとなり、
 ささえるものが不屈の精神力だけだった。

 指揮の崩壊と飢餓に追いつめられたとき、前途に横たわるものは生地獄だった。

 日本軍はインパールにおいて、また全ビルマにおいて敗れるべくして敗れた。

 兵理である。

 しかし、そこに何かが残った。


             回想記「ビルマ戦線の大逆襲」


尚、その「何か」についてマウントバッテン大将は次のように言っている。

「それは史学の権威トインビーが、いみじくも喝破した通りである。


 もし、《日本について、神が使命をあたえたものだったら、
 それは強権わがもの顔の西欧人を、アジアその地位から追いおとすことにあったのだ》


「@日本軍はアアジア諸民族の眼前で、
 彼らがとてもかなわぬと思っていた 欧米軍を 一挙に爆破した。

 Aとても独立の意思も能力もないと思っていた植民地民族を
 戦時中の短期間の組織し訓練し、強烈な愛国心をかきたて、
 軍事力も行政力も見違えるばかりに変貌させた。

 いわゆる《metamorphosis(魔術的変化)》を遂げさせた。

 このことは、当時の連合軍の誰もも予想できないことであった。

B日本軍は敗戦すると、連合軍との間に交わされた停戦協定に基づいて、
  武器は全部連合軍に引き渡すことになっていた。

 ところが、日本軍はインドネシア軍に《武器が奪われた》と称して
 巧妙に裏で武器を渡していた。

  それによって、これまで《猫》のようにおとなしかったインドネシア人が《虎》に変身し、
  ついに独立を達成したのである。

   (日本軍に関する報告書)







また、マウントバッテン司令官について、次のような話がある。

インド独立のための工作をした藤原岩市中佐がインパールへの遺骨収集実現のためインド側と交渉し、昭和50年(1975年)に無事それを実現させ、現地の人々の予想外の協力を得て帰国した。

その模様と東宮御所に参上し、皇太子殿下(今上天皇陛下)に報告されたときに
皇太子殿下が、マウントバッテン元帥の言葉を仰せになられた。

それは次のようなお言葉である。

「藤原さんの報告を伺って、事の次第が分明いたしました。

 先月、ネパール国王の戴冠式に参列した節、パーティの席で、
 英国首席随員・マウントバッテン元帥が私を捉えて、いとも懇ろに
 《過ぐる戦争中、私が東亜連合軍総司令官として、印緬戦域で対戦した
  日本軍将兵は、その忠誠、勇敢、規律厳正さにおいて、
  古今東西無類の精強でした。

  あのような素晴らしい将兵は、今後いずれの国にも生まれることはないでしょう》
と激賞してくれた」

  (藤原岩市「進めデリーへ」の反響に想う)

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ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)の言葉
日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っているなかのもっとも立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎資材を持たない。

日本には蚕のほかに取り立てていうべきものは何もないのだ。

日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)1千万から1千2百万が失業するのではないかと恐れていた。

それ故に、
日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。

(1951年5月3日、米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)




ルイス・アレン(イギリス、ダーラム大学教授・ビルマ戦線語学将校)の言葉


イギリス軍に対して戦ったインドの裏切り部隊(チャンドラ・ボースの率いる国民軍(INAのこと)はデリーの赤い要塞(レッド・フォート)で、彼ら三人の将校に代表されて軍事裁判にかけられた。この裁判の反響は、それ以前の三年間の戦いよりも、インド独立を助けるのに、より大きい効果があった。

      (長尾睦也・寺村誠一訳「日本軍が銃をおいた日」早川書房、284P)




ロスロップ・スタッダード(アメリカ、歴史学者)の言葉

すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。

1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人も考えおよばなかった。

(中略)
1900年は、四百年間みなぎり来った白人潮勢の頂点であった。

白人はそのとき、威名と実力の頂上に達したのである。

その後わずか四年にして日本は猛然起こって露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせ世界を驚かした。

その刹那に白人の退潮が始まった。

(長瀬鳳輔訳「有色人種の勃興」政教社、147、151ページ)




ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)

「この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。

故郷に帰ったら伝えてくれよ。

この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。

その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」

 

 

 
スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

「たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう」。
(「敗北から勝利へ」)

「 かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。」

(同上)