7.植民地とは何だろうか?

 

 「植民」という言葉の意味から考えれば,アメリカやオーストラリアは植民地の典型(?極端)といえるだろう.それらの地で白人は原住民を追い出して土地を奪い,結局は根絶やしにして,白人の国を建てた.

 日本は満州に植民したが,原住民を殺しも追い出しもしなかった.満州国建国の理念は「五族協和・王道楽土」である.五族とは,満,日,朝,漢,蒙をいう.傀儡(かいらい)とはいえ,満州国皇帝は清朝の廃帝(宣統帝,名は愛新覚羅溥儀(日本では「ふぎ」と呼ぶ))であった.満州は清朝の故地であったから,清朝の治世には,満州に住めるのは満人に限られていた.満州国ができてから,戦乱で荒廃したシナから平和な満州に漢族難民が流入した.日本が満州や朝鮮を侵略して植民地にしたというなら,中華人民共和国は今満州を植民地にしているとも言えよう.さらに言えば,世界が手を出せないのに付け込んで,チベットなどを侵略し続けているのである.

 台湾と朝鮮が日本に併合されてから,日本人が移住したのは確かであるが,それは主として統治のためであって,本来の意味の植民とはやや性格が異なる.本稿の冒頭でも述べたように,日本は近代化を行ったのであり,そのために先ず土地所有を確定させた.日本人が土地を奪ったなどという主張は通らない

 それにしても,「日本の植民地支配」という言葉が,定義が曖昧なまま氾濫している。この現状はなんとかならないものだろうか.

 

 

○ 「植民地」問答

 

(質問)

 「合邦、領土、植民地の言葉で混乱している。「日本は朝鮮、台湾を植民地支配し(悪かった)」と上は総理から教科書、マスコミまでもが述べている。そこで次の疑問にお答え下さい。

一、     日本はかつては合邦した。スコットランドとイングランドに似ている。それなら英国はスコットランドを植民地支配していると言えるのか。

二、     台湾は清国との講和会議で割譲され日本の領土となっていた。琉球は薩摩藩を経て日本の領土となった。それなら日本は琉球(沖縄)を今でも植民地支配しているといえるのか。」

(砂田毅(83),正論, 平成161月号投書欄,411

 

(回答)

 「この質問に答える前に、まず植民地に関する定義について私の考えを述べさせてもらいたいと思います。戦後、わが国では「植民地=悪」という偏見が流布しているので、正しい認識が欠落しているように思います。植民地とは、読んで字のごとく「民を植える(入植させる)地」のことです。国内の人民をよその地に住まわせる、つまりその入植させた地が植民地な訳です。だからわが国の例でいいますと、北海道などは典型的な日本の植民地ということになります。

 先に二つ目の質問に答えさせてもらいますが、冒頭の例で考えれば沖縄も日本の植民地ということになります。ただ植民地は国内に限りません.すでに統治機構が完備されている国(代表的なのがアメリカ)に入植させる場合は移民と呼びます。

 砂田さんは、日本と韓国をイングランドとスコットランドに似ていると述べられておりましたが、かつてイングランドがスコットランドに対して、大量の人民を入植させていたのならそう呼ぶこともあるでしょう。ただ、現在北海道を日本の植民地と呼ばないように、今のスコットランドもそう呼ばれることはないのです。

 植民地はいつまでも植民地であり続けることはありません。やがて同化するか、独立するかのいずれかです(香港のような例もあるが)。現在、中国に実効支配されているチベットや新彊ウィグル自治区などは、大量に漢族が流入していると言われているので、これらの地は、まだ中国の植民地と言えます。このまま同化されるか、それとも‥‥。」

(清弘正太郎(22),正論,平成162月号投書欄,393-394

 

(回答への補足)

 「十六・十七世紀以降、ヨーロッパ諸国はヨーロッパ以外の地域を征服して、経済的収奪や政治的支配の対象とし、それらの地域を植民地と呼んだ。ここに植民地は単なる集団的移住地とは異なった異民族支配の地域、宗主国に従属する地域を意味するようになった。

 さらに最近では他国に政治的に従属し、他国から搾取される地域をあらわす言葉として広く用いられるようになった。沖縄は第二次大戦後、アメリカとの対日講和条約によって信託統治に移すことが予定されていたが、アメリカに併合されることなく統治され、日本の潜在主権も認められていた。植民地の定義があいまいになった例である。

 植民地の定義は時代とともに変遷しているので、どの時代の定義を使って述べるのかによって表現が変わってくる。私見では、搾取を前提とする最近の定義でのべるならば、日本は韓国や台湾を植民地支配したことにはならない。日本が韓国(現在の北朝鮮を含む大韓帝国)を併合した目的は、西欧諸国が経済的搾取のために植民地支配したのとは全く異なり、日本の安全のため韓国を確保し、種族的にも最も近い韓国人を日本人と同じレベルに引き上げて日本人に加えようとしたのである。

 韓国には何一つ資源が無かったので、日本は大金を投じて、当時東洋一だった鴨緑江の大発電所をはじめ、多くの重工業・軽工業を興し、道路・鉄道・郵便・通信の設備を整え、病院など多くの福利施設も造り植林もした。特に教育には力を入れ、日本内地と同じ数の小学校を造った。この結果、人口は千三百万人から二千五百万人に倍増した。

 第二次大戦に入ってからの日韓関係は非常に良く、志願兵制度に対して何十倍もの韓国人志願者が殺到した。朝鮮統治研究の学者は「朝鮮は日本の植民地ではない。欧米的植民地政策の理論は朝鮮には適用できない」とした。台湾統治も同様である。」

(佐々木彰(62),正論,平成164月号投書欄,377-378

 

○ 朝日新聞はもっぱら「植民地」を使うが‥‥

(高山正之,朝日の“英字紙”がやったこと,正論,平成189月号,99-100

 

(「併合」と「植民地化」とは大違い)

 「例えば朝鮮問題でいうと一九一〇年の出来事を「併合」と言った。英語で言えば「annexation」だ。しかし、朝日新聞はもっぱら「植民地化」という表現を遣う。こちらは「colonization」だ。意味するところは大いに違う。

 ハワイを例にとろう。一八九三年、ハワイの在留米国人が私兵集団ワイキキ・ライフル部隊にクーデターをやらせ、ハワイ王朝を乗っ取った。彼らは日本の牽制(けんせい)もあって一時的にハワイ共和国を名乗ったあと、ほとぼりのさめるのを待って米国に領土を寄贈し「併合」された。併合後はハワイは米国領土になり島民は米国市民の権利をもった

 これに対してフィリピンは米国の植民地になる。一八九八年、米国はフィリピンを支配していたスペインを倒し、ここを米国の植民地にした。住民は反発したが、米国は徹底的に反対分子を殺しまくった。本国内では禁止されている拷問も残虐な処刑も勝手し放題で米上院公聴会では「泥水を十八g飲ませる」「一日一発づつ、ひざや肩口など致命傷にならない部分を撃ち、四日目に処刑する」などして二十万人を殺したことが報告されている。もちろんこの残虐行為を働いた張本人アーサー・マッカーサーは、勲功章はもらっても罰せられることはなかった。ちなみに彼は戦後日本に君臨したダグラス・マッカーサーの親爺にあたる。

 仏印ではフランス本国では禁止されているアヘンが公然と売られ、十歳の男子も人頭税を課税された。さらに住民は言論の自由も自分の村を出る移動の自由もなかった。これが「植民地」というものだ。」

 

(朝鮮はどちらに属するか)

 「では朝鮮はどっちに属したか。少なくとも課税面では本国国民より優遇され、ろくな税金も納めていないのに学校は作ってもらい道路も鉄道も電気まで引いてもらった。植民地のベトナム人がフランス人に作ってもらったのは刑務所だけだった。もう一つ、朝鮮人にはハワイ島民よりも自由に移動ができた。それで昭和10年前後には日本国内にどんどん流れ込んできて数十万人にも達していた。

 朝日新聞はこういう事情を承知の上で「併合」ではなく「植民地」と表現する。」

 

(日本語の強制も創氏改名も歓迎された)

 「それだけでなく「彼らに日本語を強制し朝鮮語を取り上げた」とか「名前まで日本風にさせた」と例の創氏改名を伝えている。

 日本語は当時のアジアではいわば国際語だった。今の英語より有用だった。だから江沢民だって日本語を覚え、日本語訳されたマルクスからゲーテからディケンズまで、思想から医学、科学、建築分野まで学べた。朝日は朝鮮の学校では日本語を強制されたともいうが、今、英語で授業をやっているのと同じことだろう。

 創氏改名で言えば朝鮮人も中国人も当時は世界の中では「native」すなわち第三世界の原住民扱いだった。しかし日本人なら「西洋人」扱いになる。とくにいつも見下される中国人を見返すことができるから、だから日本人を装っていた。しかし、勝手に日本人ぶると問題が起きるから法律的に一定期間に限って申告制で創氏改名を許した。

 そういう事実は朝日新聞は書かない。」

 

 

○ 満洲国はシナではない

 「たとえば満洲国について、私は小学校とか家庭とかで大体次のように教えられてきた。

 「満洲はもともと満洲族〔戦前は「満人」という言い方をよく耳にした〕の土地であり、その満洲族の偉い酋長ヌルハチが出、その子が清という国を建てた。その子孫たちにも偉い人物が出て徳川時代の初期にシナ全体が清になった。日露戦争のあとでシナに革命が起り、清朝最後の皇帝が日本の公使館に逃げ込んできた。後に、彼が日本の援助で満洲族の父祖の地にもどって建国し、初代満洲国皇帝になった」

 清国の歴史の大筋はこんな具合に当時の日本の少年たちの頭に入っていた。事実の時系列としてはこれで間違っていないと思う。そして当然のことながら、「満洲国はシナではない」というのが常識になっていた。これは日本人なら誰でも無理なく納得できることだったと思う。

 ‥(中略)‥。そうした地図を見れば、満洲は山海関の北、つまり「万里の長城」の北にある。「万里の長城」の北がシナであるわけはないというのは誰にも当然に思われていたのである。

 その満洲が消えた。終戦直前、原子爆弾が広島に投下されてから、ソ連が中立条約を一方的に破り、火事場泥棒的に満洲に入ってきてそこにいた日本人はひどい目に会った。引揚者の悲惨な体験はよく聞かされたが、いつの間にか気がついてみると、満洲は中国東北部ということになっていた。「ああ、満洲はシナ人に侵略されてしまったな。満人たちはどうしているのだろう」と思い浮かぶことはあったが、すぐ忘れてしまうことだった。‥(中略)‥。

 日本は戦争に負けたのであるから、勝者の裁判である東京裁判で、彼らに都合のよい史観を押しつけられたとしても仕方がない。しかし、「仕方がない」と言っているのと、本気で日本が満洲を侵略したと思うのでは大違いである。どうして日本が単なる侵略国になってしまうのか。」

(渡部昇一,“歴史上のif”と『岩波城の黄昏』,諸君,平成175月号,100-101

 

 

○ 満洲建国を熱望した清朝最後の皇帝(宣統帝溥儀)

「ジョンストンの『紫禁城の黄昏』が極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)に証拠資料として採用されていたら―当然、これは第一級資料として採択されるべきものであった―東京裁判自体がほとんど成立しなくなるほどのものであったのである。東京裁判は日本には大陸侵略の共同謀議があったとするが、溥儀に満洲国建国の熱望があったことが認められれば―事実あったのだ―共同謀議もへちまもなくなる。またジョンストンのこの本が満洲事変の調査のためにやってきた、かのリットン調査団が結成される前に出版されていたら、「将来、満洲はシナ政府主権の下の地方自治政府になるべき」というようなトンマな勧告をしなかったであろう。ジョンストンはリットンらを「シナの歴史に無知な連中」と言っていたと伝えられるが、正にその通りである。満洲族はシナ(当時の明)を征服したが、その満洲族の最後の皇帝がシナ民族の革命で紫禁城を追われ、かつ、自分の先祖の墓陵がシナ兵によって爆破され、埋葬品が奪われたのを見てシナ人に愛想をつかし、父祖の地にもどったのである。これだけの知識が調査団の共通認識として確立しておれば、満洲国の正統性に目が向いていたはずである。‥(中略)‥。

 ‥‥溥儀の満洲への“帰郷”は、かつて唐紹儀(民国最初の国務総理)が言ったように、「満洲の先祖が、シナと満洲の合一の際に持ってきた持参金の“正当な世襲財産”を再び取り戻したまでのことだ」‥(後略)‥。」

(渡部昇一,“歴史上のif”と『岩波城の黄昏』,諸君,平成175月号,103-104

 

[註1] ジョンストン著『紫禁城の黄昏』は映画『ラストエンペラー』の原作である.レジナルド・ジョンストンは宣統帝溥儀の個人教師であった.

 

[註2]『紫禁城の黄昏』は1989年に岩波書店が文庫の1冊として出版した.しかし,これは完訳ではなく,多くの重要部分が削除されていると,渡部氏は言う.なお,中山理による完訳が2005年に祥伝社から刊行された.

 

 

○ 満州への急激な人口流入が物語る真実

 「満州国や租界といえば、戦後日本人の間では、植民地的搾取や地獄といった印象が強い。それは“労働者は資本家に搾取される”というマルクス主義史観に立った印象であり、想像の産物だ。または中国人の宣伝(その最たるものが「虐殺」やら「三光作戦」だ)によるものだろう。‥(中略)‥。

 二十世紀初め、ロシアが資本を投資する東清鉄道が、義和団の乱でかなり破壊された。怒ったロシアは全満州を占領し、義和団は壊滅的な打撃を受け、多くの死者を出した。しかし、その直後に起きた日露戦争以降(日本の勢力扶植以降)の満州では虐殺らしいものは起きていない。‥(中略)‥。つまり、一九四五年八月にソ連軍が侵攻して来るまでの約半世紀近く、満州は東アジアのなかの桃源郷だったのである。

 満州は遊牧民族の大地であり、もともとは畜産と農業しかできない土地柄だった。そこに満州国が成立すると、自動車・飛行機が生産されるほどになった。アジア大陸では初めての重工業国家の誕生である。

 満州国では中国人が宣伝しているような、「三光作戦」「万人坑」もなかった。そのことは、毎年百万人もの大量の中国人が、長城を越えて流入していたことによって証明されている。二十世紀初頭の満州の人口は約一千万人だが、満州国成立時(一九三二年)には三千万人、終戦の一九四五年には四千五百万人に達した。もし満州国が地獄ならば、中国人は祖国を捨てて移住しただろうか。あるいは「それは強制連行したのだ」とでも言うつもりか

 なぜ満州や租界だけがユートピアだったのか。それは、その外の中華世界が戦乱の坩堝(るつぼ)だったからである。人々はつねに生命が危険にさらされ、軍閥による税金の二重取りや盗賊による略奪の対象になっていたからである。

 現代中国の「改革・解放」後における経済特別区を見れば、当時の租界の状態が想像できるかもしれないたとえば、深?(しんせん)は外国の資本と技術を導入することで近代都市に発展している。ここは現代の中国人にとって夢の地で、一般人の流入は禁止されているにもかかわらず、当初三万だった人口がわずか二十年間で百倍の三百万人に膨れ上がっている。

(黄文雄,日中戦争知られざる真実,308-310,光文社,2002

 

 

○ 韓国併合の本質は合邦

 「「日韓併合」と言われるものの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の合邦だった。

 国家財政が破綻に直面した李朝にとり、残された生存の道は二つしかなかった。清国の属国から朝鮮省に昇格し、大清帝国に編入されるか、あるいは日本と合邦するかだ。結果的には日韓合邦は最良の選択だったといえる。当時の列国もすべて賛成しただけでなく、半島と利害関係の深かったロシアや清国でさえ異議を申し立てていない。強国志向だった当時の近代国民国家としての「国のかたち」としては、「同君合邦国家」が時代の主流だった。オーストラリア・ハンガリー、スウェーデン・ノルウェー、さらにチェコ・スロバキアなどがそうである。後のユーゴスラビアにしてもそうだった。ヨーロッパや中近東、ラテンアメリカにおける合邦国家の離合集散の事例を挙げれば枚挙に暇がない。このような同君合邦国家をすべて「植民地理論」で片付けるのは、歴史捏造というほかない

 日清戦争後、台湾は下関条約によって、清国から日本へ永久割譲されたが、日本の帝国議会では当時、この新領土の編入をめぐって「台湾は植民地か否か」の大論争が展開された。‥(中略)‥。

 しかし日韓合邦をめぐっては、そのような植民地論争はなく、勅令も政府も議会も、そこを植民地だとは一切規定しなかった。朝鮮総督の格は台湾総督より上だった。‥(中略)‥。無論給与も朝鮮総督だけは別格だった。なぜなら朝鮮は「新領土」ではなく、合邦の相手との基本観念があったからだ。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,116-117

 

 

○ 善いと思って採った同化主義的政策

(大師堂)「‥‥日本の朝鮮統治政策は同化主義に近いものでした。朝鮮人と日本人を差別せず、朝鮮人を、日本人と同じ処遇する方向にもっていく。これが基本方針でした。(中略)‥。ですが、朝鮮人を差別せず、日本人と同等に扱うということは半面、朝鮮の古来の伝統を捨てることになります。「それはけしからん」といわれれば、そういう面はあったと思います。

 いろいろ批判はあるでしょうけれども、日本はとにかく同化主義をとり、それがいいと思ってやってきたのです。戦前よりも戦時中のほうが朝鮮の一般大衆は親日的でした。日本人と同じようになるんだという意識が高まったのではないかと思います。私は最後に引き揚げてくるときに、非常に親しかった朝鮮の友人が送ってくれましたが、途中で「朝鮮人もほとんど日本人になりかけておったのになあ」といった言葉が印象深く残っています。」

(坪井,大師堂,杉本,石川,元朝鮮総督府幹部が語る「創氏改名」の真相,正論,平成158月号,63-64

 

 

○ 不幸中の幸いか、それとも不幸そのものか

「大韓帝国の滅亡と韓日併合はあまりにも韓国民にとっては不幸なことだった。しかし単なる平凡な民族感情だけでこれを認識し対応しようとすることは、国家と民族にとり決して望ましいことではない。大韓帝国がなぜ日本に併合される侮辱と悲運に遭ったのか。その当時、大韓帝国はいかなる状況におかれ、国家の指導者らにはいかなる選択の余地が残されていたのか。われわれは当時の歴史的真実を正確に理解せずには正しい判断をすることができない。同時に、そうした状況判断に基づき日韓併合に至った原因を究明し、それが韓民族にとってよい選択だったのか、そうでないのか検討し評価せねばならない。

 この世は、よいことだけでも悪いことだけでもない。不幸中の幸いがあり、幸運の中に不幸がついてくることもある。だから、韓国の国権喪失による日韓併合は民族的な不幸ではあっても不幸中の幸いであったのか、それとも不幸そのものであったのかをよく見極めねばならない。」

(韓昇助(ハン・スンジョ),共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―日韓併合を再評価せよ,正論,平成174月号,292-293

 

 

 

○ 日本に併合されたことがどれほど幸いだったことか

当時の国際情勢と列国との関係がよく理解できれば、韓国が当時のロシアに占拠・併呑されなかったことはむしろ幸いであったことが分かる。万一、ロシアに呑み込まれていたなら、いかなる結果が待ちうけ、どうなっていたかを考えてみるがよい。一九一七年にロシア革命によって韓国が共産化を免れることは難しかったことであろう。スターリンが政権の座に就き、一九三〇年代に大規模な民族移住政策を強行し、韓国民をシベリアや中央アジアの奥地に移住させ、むりやり分散収容しただろう。

 これに先んじてスターリンは、ロシア(旧ソ連)で農業集団化を強行し数千万人のロシア農民を虐殺した。こうした統治形態で見えてくるのは、韓国民の抵抗を踏みつぶすためにはいくらでも多くの人々(ともすれば一千万人以上?)を虐殺することが可能だったということだ。

 三・一独立運動(一九一九年)の際に多くの人が死んだという記録がある。しかし、その数は千万単位ではなく、千人を大きくは上回らなかったようだ。警察や憲兵に逮捕され、獄中での苦しみを味わった人々は少なくはなかったが、それでもそんなに多く死ななかったことは幸いであると理解すべきである。‥(中略)‥。

 こうした歴史的な事実を見れば、朝鮮半島がロシアによって占拠されず日本に併合されたことがどれほど幸いだったことか。むしろ近代化が促進され、失ったものに劣らず得たものがより多いことを認めねばならないようだ。‥(日本による統治が韓国人の文明化に大きく貢献したことの記述があるが、省略)‥。

 以上のような点を考えた場合、日本の韓国に対する植民地支配はむしろ非常に幸いであり、恨むよりもむしろ祝福すべきことであり、日本人に感謝しなければならないだろう。日本統治三十五年の間、日本に抵抗せず協力するなど親日行為をしたといって叱ったり糾弾したり、罪人扱いをせねばならぬ理由はない。」

(韓昇助(ハン・スンジョ),共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―日韓併合を再評価せよ,正論,平成174月号,293-294

 

 

○ 日清戦争後、ロシアの保護下に入ろうとした李氏朝鮮

 「(日露戦争の)当時は世界のどの国も、朝鮮が独立を維持することを強く望んではいなかった。‥(中略)‥、これは李朝の自業自得である。

 というのも、14世紀に前王朝の高麗を倒して成立した李氏朝鮮は、当初から「小中華」を自称する中国の属国だったのであり、その末期にあっても、近代国家としての自治能力をまったく持ち合わせていなかった。そういう強い者に寄り従う事大主義が根底にあるからこそ、日露戦争当時の国王・高宗は、頼みの中国が日清戦争に敗れて力を失うと、次はロシアの保護下に入ろうと考え、一時はロシア公使館に逃げ込んで執務するという常軌を逸した行動を取ったのである。

 頼る相手が日本ではなくロシアだったのは、国王が恣意的(しいてき)に振る舞える絶対的な権力を手放したくなかったからだ。当時のロシアは朝鮮を被保護国とし、その利権を漁ることしか考えていなかった。日本と違い、朝鮮の内政改革を求めていなかったので、ロシアの保護下に入れば、それまでと同じように国を私物化し、専制体制の甘い汁を吸い続けることができる―と高宗は考えたのである。」

(崔基鎬,韓国同胞に大真面目に訴える!今こそ現代版「日韓併合」が必要だ,SAPIO2006614日号,33

 

[註]「事」は「つかえる」と読み,「仕える」を意味する.「事大」は「大に仕える」の意味である.

 

 

○ ロシアのアジア進出を阻んだ日本は、同時に李朝の専横から朝鮮の民衆を救った

 「したがって、ロシアがアジアに勢力を伸ばすことを警戒していたイギリスやアメリカが、李氏朝鮮の独立維持を望まなかったのは当然だった。だからこそイギリスは日露戦争の2年前に日英同盟を結んだわけで、もしあのとき日本が戦わなければ、朝鮮半島はロシアの支配下に置かれていただろう。そうなれば内政の改革は行なわれず、近代化も始まらなかったに違いない。

 そして国王は―李朝の500年間が常にそうだったように―贅(ぜい)を尽くした美食と遊興で国費を浪費し、その一方で、国民の大多数を占める農民は支配階級の搾取によってさらに窮乏し、塗炭(とたん)の苦しみを味わい続けたはずだ。その意味で、アジアの国家として初めて西洋との戦争に勝利し、ロシアのアジア進出を阻んだ日本は、それと同時に李朝の専横から朝鮮の民衆を救ったとも言えるのである。」

(崔基鎬,韓国同胞に大真面目に訴える!今こそ現代版「日韓併合」が必要だ,SAPIO2006614日号,33-34

 

 

○ 米国で韓国人留学生が仰天!

 「私は、アメリカの大学院で指導教授たちに言われた次の言葉を、今なお忘れることができません。「日本の植民地は、その後いずれも経済発展したではないか。そんな結論の出ている問題をいまさらどうして研究するのか。」

 米国の名門ラトガース大学のダン・ローデン教授は、私が博士論文の主題について日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の教育と女性問題について研究したいとの計画を説明すると、このように反問しました。「文明のシステムを、日本のコロニアリズム(植民地主義)は朝鮮半島に導入したのではないか。スペインやアメリカ、イギリスは日本のように本国と同じような教育システムを植民地に導入しようとはしなかった。当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。日本のコロニアリズムを経ずに、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか。」

 私は、この発言に怒りが込み上げ懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり感情だけが高ぶったのを覚えています。そんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなるとの不安が一瞬心をよぎりました。

 論文の相談をした別の経済学専攻の教授は、「植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家はない。アメリカやイギリスの植民地で、台湾や韓国ほど発展した国があるか」とまで言うのでした。

 私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。「日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が東京帝国大学出身であると自慢げに話した。これは、暗黙のうちに日本が導入した文明のシステムを評価していることになる。本来なら、東京帝国大学を卒業した父親を非難すべきではないか。」

 こう言われてみると、確かに東京大学はもとより京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業したことを誇りにする韓国人は少なくないのです。当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。」

(クリスティン・リー,日韓の植民政策研究は政治やイデオロギーに振り回されてきた,SAPIO2002925日号,18

 

 

 

8.韓国の現状と韓国人の心情

 

 米国下院における慰安婦に関する勧告決議案の提出は,在米の韓国人と中国人が画策した結果である.現在の韓国がどういう国か,また韓国人が何を考えているかを知ることは重要であろう.

 韓国はしばしば口を極めて日本を罵る.普通なら断交になりかねないところだが,日本政府は煮え切らない態度を続けている.どちらも変な国である.歴史歪曲などに関することは除いているので十分とは言えないが,この章で韓国の現状と韓国人の心情についていくつかの見方を紹介する.

 

 

○金完燮(キムワンソプ)氏の見解と主張

 「韓国の反日洗脳教育は韓国が光復(韓国では日本の植民地支配からの独立解放をこう呼ぶ)後、アメリカから帰国した大韓民国の初代大統領、李承晩によって始まった。

 人間というものは非常に弱いものらしく、簡単にオポチュニスト(ご都合主義者)になってしまう。太平洋戦争が終結するまで、朝鮮の人々は日本人という意識を持ち、外地(当時日本領であった朝鮮半島や台湾)の日本人として、内地人(日本本土の日本人)と共に鬼畜米英を掲げて戦争を戦い、腰を折らんばかりに深くおじぎをして天皇陛下に忠誠を誓っていた。

 ところが、アメリカを中心とする連合国の勝利という他力によって朝鮮半島の日本からの独立が成されるやいなや、我こそは抗日独立闘争の義士だと名乗る詐欺まがいの人士が雨後のたけのこのように続出し、朝鮮半島における日本に対する態度は180度変わった。反日でなければ社会的に抹殺されるような殺伐とした雰囲気が生み出されたのである。(…中略…)

 ‥‥戦後の親日派弾劾の裁判で崔麟は「日本の軍隊に屈せざるを得なかった」と弁明している。戦前、崔麟の他にもたくさんの親日的言論人がいたが、「朝鮮語を廃止すべし」と唱えた玄永燮、「アジア復興と内鮮一体」を記した金斗禎、「朝鮮民族の発展的解消論序説」を著わした金文輯など、社会全体に日本人という意識が満ち満ちていた。

 1945年の独立後、彼らの多くは処断されたか、保身のため極端な反日に転向していった。ちなみに李光洙だけは韓国独立後も親日的立場であったことの正当性を訴えている。しかし一般的には、韓国社会の風潮は帝国臣民になることを熱望し親日的風潮に満ちた戦前の社会から解放されると、反日へ大転換した。

 以後、「反日」のための歴史的事実の捏造は度を極めた。また日本を悪者に仕立て上げることで国内不満を逸(そ)らし、歴代政権の正当性を確保しようとする、日本にとっては迷惑千万の悪しき習慣がここに形成されたのである。日本に少しでも肯定的な評価をすれば「親日派売国奴」のレッテルが貼られ、韓国社会で生き残っていけなくなったのだ。(…中略…)。

 ‥‥独立記念館での教師と児童のやりとりが示しているように、「日本=悪」という固定観念が韓国人の精神構造にどっぷりと根づいているのである。検証作業や事実確認などがないまま、大前提として「日本=悪」という構図が韓国社会に浸透しているのである。(…中略…)。

 以上紹介したのは反日教育のごく一部だが、このような悪質な歴史的事実の捏造によって日本のイメージは著しく傷つけられている。日本国民は一丸となって公式に独立記念館の展示内容に断固抗議すべきだ

 同時にそれは韓国の国民の目を覚ます絶好の機会となるはずだ。ありもしないことをでっち上げ、歴史的事実を歪曲し、歴史的事件・施設に恣意的な解説をつけて反日意識を頭に植えつけることは、韓国国民が自らを愚民化していることに他ならないからだ。また、苦難に耐えながら日本と共にあの戦争を戦った韓国人自身の先祖にも失礼である

 幼少時から不必要な被害者意識を執拗に注入されれば、被害妄想に取りつかれ冷静かつ客観的に物事を判断できなくなっても不思議ではない。日本統治時代が全くの暗黒時代であり肯定的側面は皆無であったと子供たちに教え続ける韓国政府の意図的な反日洗脳教育は、全ての失敗や短所の責任を他者になすりつける責任感のない人間を大量生産する結果となるだろう

 また、ある特定の民族や国家を憎悪させるような社会風潮や教育が子供たちの精神的発育にとって健全であるはずがない。現在の反日的風潮は昨年のサッカーW杯日韓共同開催で若干和らいだが、最近では反日の代わりに反米が韓国社会を覆っている

 日本の日教組にあたる韓国の教員組合、全教組は相手を変えて同じことをくり返しているのである。在韓米軍の傍若無人な振る舞いに問題があることは確かだが、蝋燭デモに代表される反米策動はまた新たな憎悪の対象を作り上げている。日本からの独立後の反日教育や最近の反米集会は李朝時代の事大主義からの反動なのであろうが、韓国社会はアンチテーゼを高揚させることでしか成り立たない社会なのであろうか?

金完燮,「諸悪の根源」を日本人に押しつける反日洗脳教育が韓国人をダメにした,SAPIO, 200379日号, 18-21

 

[参考] 金完燮氏の「親日派のための弁明」(日本語版,草思社)は韓国では発禁になった。(SAPIO, 2002925日号, 46

 

 

○ 韓国の「反日」は実体なき抽象概念

 「日本統治時代、日本はいかにひどいことをしたか―。これが、韓国人の民族意識を支える「反日」の源です。しかし、その「ひどいこと」とはどんなことかを問うと、自分自身が受けた傷としてはっきりと答えられる人はほとんどいない、というのが実情です。‥(中略)‥。

 民衆というものは、平穏な生活を営むことができれば、あえて統治者に抵抗しようとはしないものです。日本統治時代に三・一独立運動がありましたが、その後日本は韓国統治の方策を考え直したと考えられます。以後は、とりたてて民衆の暴動などは起きていません。もちろん、日本の政策がすべてよかったとは言いませんが、日本は比較的平和に統治し、韓国は統治されていたのだと思います。それは韓国の誇りを傷つけることではありません。制度的には日本が統治していても、生活共同体や風土までは踏み入らなかったということだと思います。韓国人はうまく統治されることをもって、立派に祖国を防衛したのです。韓国人はいさぎよく、日本統治下において韓国人と日本人生活者との平和な交流があったことを認めるべきでしょう。

 実際に日本統治時代を知っている人にうかがうと、教えられてきたような日本の悪行の数々というのはまず出てきません。つまり、教育上教えられる「日本」は、反日のために作り上げられた「虚像」でしかないのです。そのために私自身、教育から得た「日本像」と現実とのギャップに当惑し、悩んだものです。

 実は、子どもの頃、私の周りの大人たちから聞く日本は、とてもいい「日本」だったのです。日本のことを悪く言う人はほとんどいませんでした。私の故郷、済州島では、日本へ海女として出稼ぎに行く女性が多いのですが、日本と済州島とを行き来して働いた人たちからも、日本のよい話しか聞きませんでした。日本には泥棒がいない、みんな親切、お風呂がある、そしてみかんがおいしい。日本で温泉に入り、おいしいみかんを食べるのが私の夢だったのです。

 子どもの頃は、そんなふうに「いい日本」の話を聞いていましたが、反日教育を受けて成長していくと、「日本が好き」と言うのが恥ずかしくなってきました。韓国では「田舎者ほど反日意識が弱いのは無学だからだ」と言われるのです。田舎の無知なおばあさんたちは何もわからないから、あのように日本を褒めていたのではないかと思ってしまったのでした。

 自分も一人前の知識人となるために、反日感情を強く持たなくてはならないと考えました。教育によって、作り上げられた「ひどい日本」の像を刷り込まれたのです。

 その後日本に来て、現実の日本人を知れば知るほど、韓国で教えられた「反日」の虚偽性に気づき、おおいに悩むこととなったのです。ガチガチの反日思想に身を固めてやってきた私が接した日本人たちは、みんなおとなしく、やさしかったのです。私は振りあげた拳のもって行き場がない状態でした。私の中から「反日」が消えると、今度はいったい自分は何者なのかということでひどく悩むことになりました。韓国では、「反日」と「民族主義」が不可分なものなのです。

 今後日韓交流の場に登場する多くの若者たちが私と同じように、アイデンティティの崩壊に悩むことでしょう。まさしく、これが「反日民族主義」を続けた韓国の悲劇です。

 それでも私には子どもの頃に聞いた「いい日本」の記憶があったからよかったのです。親にさえも「反日」を教え込まれていたら、私も変わることは難しかったかもしれません。

 私は軍隊経験を持っています。軍隊というのは、非常に現実的な場ですから、「反日」などということは一切聞きませんでした。いかに、目前にある北朝鮮から母国を守るかということのみに専念していました。このことからも、「反日」が単なる抽象的な概念だということがわかるでしょう。」

呉善花,韓国人よ、末期的「反日民族主義」をさっさと捨て去るべき時だ,SAPIO, 2002213日号, 28

 

[付言] 親日派呉善花女史への迫害が最近激しくなっているらしい.(20074月記

 

 

○ 旧朝鮮総督府建物の爆破という愚行

「‥‥金泳三時代にソウル中心部にあった旧朝鮮総督府の建物の爆破、撤去が社会的な問題となった。その建物は日帝により建築され、当時の世界的な傑作として知られた重要な文化遺産に属する建築物だった。また、朝鮮総督府よりも長い年月、韓国の中央庁舎として利用された大韓民国建国の歴史的な建造物だった。そのうえ中央庁舎が建てられたあとには、国立中央博物館として使われた。

 その建物の爆破、撤去に反対していた人々の大部分も朝鮮総督府の建物爆破、撤去に反対していたのではなく、博物館をまず建てたあとに爆破撤去をすればいいという理由で反対していた。しかし、名分と大勢の拍手を受けたいという政治的な欲からそうした実利は関心を集めなかった。‥(中略)‥。

 アジアの国家の大部分は外国勢力の植民統治を受け、その後、独立した。しかし、過去の宗主国が立てた官庁や軍施設を爆破、破壊したという例は聞いたことがない。むしろ独立運動家らを収容した刑務所や拷問室まで保存しているということだ。」

(韓昇助(ハン・スンジョ),共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―日韓併合を再評価せよ,正論,平成174月号,296-297

 

 

○ 日本叩きは鬱積した感情の発散

「韓国と中国は、相性が良いようなところがある。これが、日本相手だと、日中戦争という歴史のしがらみが出てくるのだが、韓国は、歴史上、一方的に中国にやられっぱなしだった

 たとえば、歴代の王朝は、中国と陸続きであるため、いろいろと干渉を受けている。韓国の王様は、歴史上、ずっと皇帝とは名乗れない。地球上、皇帝は、中国にしかいないことになっている。したがって、韓国では、皇帝のシンボルである龍の彫刻も、許されない。中国の封冊(ほうさく)を受け、いわば、一種の属国のような状態に置かれていたのだ。もし、中国に反する行動をとったりすれば、ただちに軍事力で征服される。このため、韓国では、事大主義といって、中国に弱いという風潮があり、いまも消えていないのだ。

 中国のほうからは、韓国を恨む理由がない。むしろ、韓国動乱のときは崩壊しかけた北朝鮮を助けて、中国が介入したのだから、韓国のほうに正当性があるだろう。それでも、韓国人は、事大主義だから、中国には文句は言わないのだ。

 もし、あのとき、中国の人民義勇軍が介入しなければ、いまごろは朝鮮半島は統一されていたし、北朝鮮で多くの人民が餓死するような、とんでもない事態には至らなかったのだ。

 これを言うと、韓国人は、反発するのだが、韓国人は、対アメリカ、対中国で、譲りすぎたり、卑屈になったりすると、その精神的なバランスを保とうと、日本に対して強硬に出てくることがある。日本叩きをすることによって、対アメリカ、対中国で我慢した鬱積した感情を、発散できるからだ。」

(豊田有恒,いま韓国人は何を考えているのか,95-96,青春出版社2002

 

 

○ 韓国人の複雑な心理

「韓国人の反日は、日本でも有名になっている。確かに、韓国人は、反日には違いない。だが、日本が嫌いかというと、そんなことはない。矛盾しているようだが、反日ではあるものの、親日ではないが、いわば好日といえる。‥(中略)‥。

 変な例をあげるが、こう考えると判りやすい。アンチ巨人という趣味の人がいる。巨人が負けると、嬉しいという人種だ。アンチ巨人の人は、内心では巨人が好きなのだという分析がある。韓国人の日本に対する気持ちは、このアンチ巨人の人の心理と似ているのだ。嫌い、嫌いと言っているが、実は好きなのだろう

 こうした錯綜した複雑な韓国人の対日認識は、当の日本ではあまり知られていない。だから、韓国人が日本に対して、過剰反応を起こしたりすると、一時的には、日本でも嫌韓論が出てきたりする。

 実は、韓国人は、日本人に、もっと韓国に目を向けてほしいと思っているのだ。だが、日本にとっては、韓国は、外国のひとつでしかない。日本人にいわせれば、かつての日韓併合という歴史を反省している。だから、韓国への技術協力など、できることは、なんでもしているという認識がある。だが、韓国人はそれではじゅうぶんでないと考える。そのギャップが、韓国人には、なんとも面白くないのだ。‥(中略)‥。

 つまり、韓国人にとっては、日本は単なる外国ではないのだ。」

(豊田有恒,いま韓国人は何を考えているのか,29-30,青春出版社2002

 

 

○ 韓国人の苛立ち

「ところが、日本人が好意的であればあるほど、韓国人の心情は鬱屈(うっくつ)してくるものなのだ。戦前、日韓併合条約によって、韓国は日本の一部とされてしまった。そのことがトラウマになっている。

 だから、韓国人にとって、日本は敵であるべきなのだ。韓国人は、イデオロギー、主義主張に忠実だから、日本は敵でなければならないと、自分に言い聞かせている。ところが、現実の日本は、韓国の同盟国のような状態である。しかも、韓国は、どっぷりと日本の技術、文化に漬かっているという現状が長く続いた。この矛盾が、韓国人を苛立(いらだ)たせるのだ。」

(豊田有恒,いま韓国人は何を考えているのか,24-25,青春出版社2002

 

 

○ 日本が統治する前のハングルの使われ方

「韓国では、ハングル文字が、一般的だ。ハングルは、むかし世宗大王が、庶民の文字として、六人の大臣に命じて作らせた文字で、かつては「諺文(オンムン)」と呼ばれ、当の韓国でも、上流階級は使ってはいなかった。(中略)‥。

 日本では、九世紀に仮名が創案され、かなり早い時期に普及したのだが、韓国では、十五世紀まで遅れる。なぜなら、陸続きであるため、韓国では、常に中国人の目が光っている。中国の半属国のような状態が長く続いたため、妙な文字を使っているところを、中国人に勘づかれたりすれば、外交問題に発展しかねない。

 公文書は、もちろん漢文である。せっかくのハングルも、庶民、それも下層階級しか使わないという状態が長く続いていた。」

(豊田有恒,いま韓国人は何を考えているのか,47-48,青春出版社2002

 

[補足] 日本政府は朝鮮語教育のためにハングルを公式に採用した.つまり,朝鮮でハングルを普及させたのは日本政府である.「言葉を奪った」という非難は的外れである.

 

 

○ 韓国人が漢字の使用を止めたわけ

「現在の韓国では、ハングルが国語の中心になっている。国語政策が、なんども変更されたため、世代によって、漢字が読めたり読めなかったりする。七十歳以上の人は、自由に読み書きできるのだが、それ以下の世代の人は、特別に必要があって勉強した人以外は、読めないことのほうが多い。

 ただ、ハングルで表記されていても、たいていの単語の裏には、漢字が隠されている。日本人なら漢字で書くところでも、みんな仮名(かな)で書いてあるようなものだ。‥(中略)‥。

 韓国は一九一〇年から、日本の統治下に置かれる。もちろん、このこと自体は、韓国の歴史のなかでは、屈辱と受け止められているのだが、日本式の漢字が、怒涛(どとう)のように流入したのだった。‥(中略)‥。日本の統治下で、日本語を強制されたせいもあって、一般に使われている韓国語も、変容していた。

 新聞、経済、物理など、それ以前の朝鮮王朝の時代には存在しなかった概念は、日本人の訳語を借りるしかなかった。たとえば、「宗教」という単語は、今日では当たり前だが、明治のころ、英語のレリジョンの訳語として、小松弘道が用いたものだ。韓国語は、もはや日本語の影響を抜きにしては、存立しえないほど変貌してしまったのだ。日韓併合以前の状態に立ち戻ることは、不可能になっている。

 そこで、最小限、日本語の単語を、韓国語の音(おん)で発音することに決め、ハングル表記を奨励したわけだ。経済(キョンジェ)、新聞(シンムン)、物理(ムルリ)、競争(キョンジェン)など、それなりに韓国語として通用することになった。

 だが、日本語からの外来語は、それだけではなかった。日本語で訓読みしている熟語までも、相当に入り込んでしまっている。例をあげれば、きりがない。手続き、貸切り、取り調べ、取消し、埋め立て、売出し、組合、株式などは、もともと日本語なのだから、韓国語に置き換えようがない。朝鮮王朝時代には、貸切りや売出しは、行われたことがなかった。したがって、それに相当する単語もない。

 韓国政府の国語審議委員は、苦肉の策をひねり出した。つまり、こういう類の日本語起源の外来語も、新聞、経済と同じように、韓国語で音読してしまえというわけだ。手続きは、‥(中略)‥、日本語では音読みしないから、「しゅぞく」とは読まないが、韓国語ではスソクになった。‥(中略)‥。百貨店(ペクファジョム)、株式会社(チュシクフェーサ)、取締役(チュジェヤク)など、ビジネス関係の単語にも、日本語がたくさん残っている。ただ、それらの単語を、韓国式の音(おん)で読んでいるだけだ。特に、取締役などは、日本語では「しゅていやく」とは読まないから、まったくかけ離れた発音になり、一般の韓国人は、いまでは、これが本来は日本語だったということさえ知らない状態なのだ。」

(豊田有恒,いま韓国人は何を考えているのか,44-51,青春出版社2002

 

 

○ 学問における日本の影響は圧倒的

(黒田)「韓国は今に至るも、学問的に、圧倒的に日本の影響、日本のものが残ったわけです。例えば、辞書、事典のたぐいはほとんど、日本のものからの重訳です。ロシア文学からギリシャ神話から、あらゆる世界の古典もそうです。韓国の知的社会はそういう土台の上に形成された。それを、先生方はみんな知っている。しかし、それを絶対に教えないですね。」

(井沢)「それを卑怯と言うのも何だけど、失礼ではあると思うんです。世話になった部分があるなら率直に言うべきだと思う。」

(黒田)「日本の知的財産を利用して韓国の知識世界が形成されたため、近年、それに対する自己批判というか、自らの手で辞書を作ろう、自分たちで原典から直接翻訳しようという動きや声が出てきました。

 その際に、こういう論理になるんです。“他者の、しかもあろうことか日本の知的財産をひそかに利用して,学生たちに教え、自分の業績を打ち立ててきた旧世代はけしからん”とね。そこには、日本の知的世界のこの社会における貢献については認めたくないし、言及しないという意識構造がありますね。」

(井沢元彦,ソウル在住20年・黒田勝弘氏との対話,SAPIO20031126号,93

 

 

○ 異様!‥‥何と60年も経って、「日帝下の親日・反民族行為糾明の新法」を制定

 「韓国で32日、圧倒的多数をもって成立した「日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法」をどう読むべきか。もちろん、なにをいまさらと呆れる話ではあるが、それだけで済ませるわけにはいかない。

 4月の総選挙を前に、この法案に加えて竹島領有問題や小泉首相の靖国神社参拝問題を唐突に持ち出して支持率アップを狙う盧武大統領の戦略に対し、それを相殺するために野党ハンナラ党が相乗りしたという見方も、一面の真理ではあろう。事実、この法案の審議過程では、当初日帝支配の協力者として旧日本軍の将校すべてが糾弾の対象となっていたが、そうなると日本軍の軍人だった朴正煕元大統領も含まれることになり、ひいては長女でハンナラ党のニューリーダーといわれる朴槿恵議員を攻撃する材料になると問題になるので、対象が「当時の中佐以上」に限定される顛末もあった。いずれにせよ、日本統治終了後60年も経過した今頃になって成立した、このいかにも異様な法律には、第一に韓国の国内政治の事情があるのは間違いない。

 しかし、国際政治の現場で北朝鮮をめぐる6か国協議が行われているこの時期、親北朝鮮政権である盧政権がこうした法案を成立させたことには、北朝鮮が日朝首脳交渉の席でも持ち出した日本の植民地支配の責任を強調することにより北朝鮮を側面で支援し、ひいては6か国協議で日本を孤立させて、中朝韓で主導権を握ろうという狡猾な狙いが秘められていると見るべきだ。」

SAPIO’S EYESAPIO, 2004324日号,3

 

[寸評](韓国は反日教専制の国)

 今の韓国は「反韓史観」に支配されているのだそうである.それによれば,戦後の韓国の発展を支えた人たちは親日派であるとして犯罪者呼ばわりされる.反韓史観が単なる史観に止まっているうちは,それはまだイデオロギーや政治倫理上の議論の対象であった.しかし,「親日派糾弾法」の成立によって反韓史観は法的に正当化され,戦後韓国の歩みは全否定されたのである.同時に、多くの人たちが先祖の行為を理由に政治的な権利を奪われるという、きわめて非民主的な状況に落とされることになった。これは一種の革命ではなかろうか.そして,韓国は政治的にも法的にも反日を正義とする国になったのである.このような「反日教専制」の韓国に,日本はどのように対するべきであろうか.

 「親日派糾弾法」の恐ろしいところは,罪禍が親日派の子孫にまで及ぶことである.近代法治国家にあるまじき「異様な法律」と呼ばれる所以である.これは韓国が儒教国家の体質を依然として持ち続けていることを示している.随分前に日韓基本条約を締結して過去を清算し国交正常化したというのに,韓国がいつまでも昔のことを蒸し返すのは,この体質が一因かもしれない.

 

[註] 韓国は「反日全体主義の国」になったのだと表現する人もいる.(黒田勝弘,ソウルの風第7回,SAPIO, 2005427日号,17

 

 

○ 言論弾圧

 

[例1](日本の統治の功の面を認めると‥‥)

 「日本の植民地支配はイギリスのインド支配がそうであるように、鉄道・ダムなどのインフラ整備そして教育制度などの充実について「功」はあったと思います。しかし、韓国でこうした意見を述べるとただちに「国賊」「売国奴」といった扱いを受けます。歴史を客観的に見ればこのことは誰もが理解できることであり、実は韓国にもそういう意見を持つ学者や研究者もいるのですが、こうした「言論弾圧」のために発言が封じられています。

 たとえば去年、「日本統治下の朝鮮半島ではむしろ、経済的に大きな発展が成し遂げられ、当時移植された近代的資本主義の登場が、一九六〇年代以後、(韓国が)飛躍的な経済発展をした要因だ」と発言した李榮薫(イヤンフン)ソウル大学教授が、結局テレビの討論番組で「従軍慰安婦の強制連行」に疑問を投げかけるような発言をしたため、マスコミから集団リンチのような扱いを受け、慰安婦たちの前で土下座させられるという「事件」がありました。

 また『親日派への弁明』の著者である金完燮(キムワンソプ)氏は、その論を書くにあたって歴史上の人物を侮辱したかどで訴えられ罰金刑をくらいました。

 日本なら、いや世界のまともな民主国家なら、たとえば「ナポレオンは軍人として才能がなかった」とか「勝海舟はアホだった」とか自由に書けます。ところが韓国ではそれをやると子孫から訴えられるんですよ。そういう法律が21世紀のこの時代にまだあるんです

 それどころか盧武(ノムヒョン)政権はさらにとんでもないことを、この間やりました。それは「親日反民族行為真相究明特別法」の改正で、簡単に言えばこの法律によって李氏や金氏のような犠牲者がさらに出るということです。」

(井沢元彦,拝啓古館伊知郎様「報道ステーション」の竹島報道の問題点にお気付きですか?,SAPIO, 2005427日号,15-16

 

[例2](大学における親日派狩り)

 「大統領に呼応するように、韓国世論もまた反日感情の高まりを見せる。親日であることが即、反民族的で悪いことであるかのような暴論が、本来なら知的階層として韓国の未来を担っていかなければならない人々の間にさえも広がっているのだ。たとえば韓国を代表する大学のひとつ、高麗大学では韓国大学総学生会連合(韓総連)が親日的教授のリストを作成し発表した。先述のように、今や親日は反民族と同義語であり、即、悪を意味する状況のなかでは、親日的教授のリスト発表は、リストに載せられた教授たちが、学生、ひいては社会一般から総攻撃を仕掛けられることをも意味する。

 現に、元高麗大学学長で名誉教授を務めていた韓昇助氏は、その“親日的”言論や主張を糾弾されて辞職に追い込まれた。他の教授らは親日のレッテルを貼られることを恐れ、脅えているのが現状だと言っても過言ではない。

 このような状況の下では、私が現地で取材した人物名を軽々に明らかにすることも出来ない。」

(櫻井よしこ,盧武「反日急旋回」の真の狙いは左翼政権維持による保身だ,SAPIO, 2005427日号,12

 

 

○ 憎悪と怨恨がもたらす、近くて遠い韓日関係

「共産主義や左傾思想は現実否定と憎悪、怨恨に根差した思想であり、その歴史歪曲が人の心をゆがませ、質を低下させる。今、左傾思想が韓国人を誤った方向に導き、低質化させつつある。‥(中略)‥。

 ‥‥保守派は、韓日関係の悪い面だけを見るのではなく、よい面や双方に恩恵的な面があることを認め、相対的に日本に対してはさほど敵対的ではなく、親日的な態度を見せることが多い。

 しかし左派勢力は恩恵的な点は全く認めず、害を受けたことや恨みに関する部分だけを探し出す。言い分はこうだ。「朝鮮王朝が滅亡したのは日本の侵略主義が原因であり、韓国の支配層が彼らを手助けしてきた」「韓国人の不幸のすべてが日本の侵略のせいであり、日本がすべての責任を負わねばならない」‥(中略)‥。

 韓日関係を「近くて遠い国」という。これは、韓国人に不幸の原因を自らに置くのではなく日本に押し付ける傾向があるため、日本人が韓国人を心の中で軽蔑しつつ距離を置いてきたからだ。これも韓国人側のよくないメンタリティーのために形成されたものだ。」

(韓昇助(ハン・スンジョ),共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―日韓併合を再評価せよ,正論,平成174月号,294-295

 

 

○ 「偉大な民族」と相容れない排他的民族主義

「「ダメな国民」性は過去史歪曲だけでなく、排他的な民族主義を焚きつけてきた。立派な国民、国の特徴は際立った解放性と包容力、そして世界性にある。これは韓国国民がすべての国の人に対し閉鎖的で悪意に満ち、狭量な民主主義感情にとらわれたダメな国民、程度が低い国民であるということだ。韓国人の中には中国から来た朝鮮族を無視して見下し、日本人に敵対的で米国人に対しては傲慢不遜な傾向がみられる。いずれも的外れな排他的民族主義の所産だ。このように外国人を憎み排斥する人々を日常的に目のあたりにし、どうして「偉大な朝鮮民族」を語ることができようか。‥(中略)‥。

 米国と日本を敵対視することが韓民族の偉大さを示す唯一の手段だと考える若者たちがいる。彼らは先進資本主義国家の国民たちさえたいしたものであるとは考えない。さらには社会主義、共産主義が外部世界では滅びても、韓国で進む社会主義革命が未来世界の模範になり鏡になるという自負心さえ持つ若者たちもいる。彼らの錯覚と無知識な意気込みには驚く。こうした症状は無知で「ダメな国民」の極致であり、私は、このような文化が北朝鮮の主体思想の影響で生まれたことを嘆いてやまない。」

(韓昇助(ハン・スンジョ),共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―日韓併合を再評価せよ,正論,平成174月号,295-296

 

 

○ 日本の譲歩でしか成り立たない日韓友好とは?

 「日韓友情年というスローガンを掲げるのはいいのだが、友情を分かち合うためには少なくとも普通の交際が前提であり、お互いが会話をしなれば不可能である。果たして、日本と韓国はいま、「友情」を醸成できる環境にあるだろうか?

 私は、日韓W杯が行われた2年前よりさらに事態は悪化していると思っている。‥(中略)‥。

 日本国民と日本政府は、こうした日本に対する無意味で低俗な韓国人からの挑発が当たり前の光景として存在するという現実を、きちんと認識しなければならない。恐ろしいのは、メディアが伝えないこうした現実がいま、ネットで広く知れわたる環境になっていることだ。メディアが客観的な情報をこのまま隠蔽し続ければ、強烈な反韓意識がネットを中心にいま以上に広がり出し、政府間のやりとりを飛び越えて、民間レベルでの<戦争>がいつ起きても不思議でない状況になっている。

 ‥(中略)‥。大切なことは、日韓両国が客観的・科学的な事実の検証を相互に行い、相対化することなのだが、現在の韓国にその可能性がほとんどないことが致命的である。

 しかも日本の一部メディアと政治家、さらに反日活動家が、韓国の反日意識を称揚するマッチポンプの役割を果たしている。いくら友情を謳って韓国ブームを醸成しようとも、それが日本の譲歩を前提とするかぎり、そのブームには本来考えられなかった様々な政治的意図が忍び寄り、滑り込んで来ることになる。それでは本当の意味での日韓友好に寄与しないことは明らかなのだ。」

(西村幸祐,日韓友情年に向けてつくられる友好ブームの裏側,正論,平成169月号,285

 

 

○ 頼まれても御免こうむりたいこと

 「これは意外だったのだが、「日帝支配」史観の刷り込みによって、韓国人の中には、日本人が自虐史観から脱却し、自信や誇りを回復したりすると、再び朝鮮半島を支配しようとするのではないかと本気で心配している人々がいるというのである。‥(中略)‥。

 よく知られている事実だが、朝鮮統治は投資過剰の赤字経営だった。その上、敗戦で苦労して築いた朝鮮での設備や財産を全て失い、さらに国交正常化時には合計八億ドル(今日では三兆円規模とも言われる)の経済援助を約束させられ、その後も年間百九十億円ベースの借款供与を継続しなければならなかった。(呉善花「韓国人の反日民族史観のウソ」)。それにもかかわらず、韓国人にはいまだに恨み続けられ、安保理の常任理事国入りについても反対運動を起こされている。もう、日本人は十分に懲りている。朝鮮半島を自国に組み込むなどという厄介なことは、頼まれたとしても御免こうむる。」

(新田均,「反日の連鎖」を打ち破るための理論武装入門,正論,平成176月号,112

 

 

おわりに

 

 ヴァージニア州立工科大学で永住権をもつ韓国人学生が銃を乱射し,32人の学生を殺害した.韓国系米国人は迫害を恐れている.そのためであろう,韓国系反日組織が安倍首相の訪米に合わせて計画していた「従軍慰安婦」への謝罪を求める集会を中止する,とのニュースが一度は流れた.しかし,翌日中止は撤回された.米国下院に決議案が提出された背景が窺える.

 同様な「慰安婦に関する対日謝罪勧告決議案」は過去に3回提出されているが,どれも否決されていた.しかし,昨年の選挙で民主党が勝ったために,今回は採択されそうな形勢になっている.

 その決議案には,

  ・慰安婦制は残酷さと規模の大きさで前例のない性奴隷制で,20世紀最大の人身売買事件である

  ・日本では最近河野談話を薄め撤回しようとする動きがある

  ・日本の新しい教科書のなかには慰安婦の悲劇や日本の戦争犯罪を軽視しているものがある

  ・日本政府は2000年の女性・平和・安全保障に関する安保理決議を支持したのではないのか

という趣旨が述べられており,日本政府に対して次の四項目

  1. 日本政府は奴隷制を若い女に強要したことを公式に認め,謝罪し,歴史的責任を受け入れる

  2. 首相は公式に声明を出して謝罪する

  3. 日本政府は性奴隷状態と人身売買はなかったという主張に対して明瞭に反論する

  4. 日本政府はこの恐るべき犯罪について現在と未来の世代に教育する

を勧告している.

 安倍首相は「事実の誤認がある.狭義の強制連行はなかった」と発言したが,それはやや的外れの感がある.決議案で問題にしているのは,「慰安婦制が奴隷制であり,人身売買であること」および「河野談話を撤回せよという動き」である.また,「日本は戦争犯罪を忘れるな」と脅してもいる.慰安婦だけに気を取られてはならない.「慰安婦制という犯罪について教育し続けよ」という勧告は内政干渉である.とはいえ,それは河野談話で約束したことであるから,河野談話を破棄しない限り頭を垂れて聞くほかあるまい.

 決議案は採択されても(米国政府に対して)拘束力がないという.提案者にとってこれはかえって好都合であろう.気楽に繰り返し提案して,宣伝効果だけは挙げられるからである.採択さえもされないほうが望ましいのかもしれない.

 仮に決議案に拘束力があるとすれば,どうなるであろうか.米国政府は間違いなく拒否する.なぜなら,日本に謝罪を要求すれば,友好関係を損なうばかりでなく,米国自身が火傷をするからである.それは次のように考えれば解る.

  (1) 米国とはほとんど無関係で,しかも諸条約によって決着がついている慰安婦問題を口実にしているうえに,教育や教科書にまで注文を付けている.本来ならしてはならない露骨な内政干渉である.

  (2) 米国は正義面・善人面はできないのである.兵士と性の問題はどこの国でもあるもので,米軍も叩けば多量の埃が出る.占領軍兵士が日本で犯した夥しい数の強姦事件は慰安婦制を超える人権侵害であろう.また,パンパンやオンリーは慰安婦とどれほど違うと言うのか.さらに,破格の収入があり,足も洗えた慰安婦がなにゆえに性奴隷なのか.

  (3) サンフランシスコ条約を結んで日米は講和している.過去のことはお互いに水に流しているのである.米国は日本に対して「戦争犯罪」を持ち出せる立場にはないはずである.

  (4) それでも戦争犯罪を持ち出すなら,日本は受けて立てばよい.日米戦争で最大の戦争犯罪を犯したのは米国である.ただ,勝者の米国は裁かれなかっただけなのだ.東京裁判をやり直そうではないか.

 米国は東京裁判で日本に侵略戦争や虐殺などの罪を着せたので,それには固執するはずである.とはいえ,その固執を露わにする事態は招きたくない.それには,日本政府が下院決議に敏感に反応せず,無視してくれることが望ましい.そしてどうやら日本政府に圧力をかけているらしいのである.事実,駐日米大使は河野談話を堅持するよう求め,安倍首相の腰が次第に引けてきている.

 しかし,ここで曖昧に妥協していかにも日本らしく穏やかに事態を収拾すると,野蛮だった日本人という悪評が定着してしまう.それはまもなく出来する「南京大虐殺」問題や将来の北朝鮮との国交正常化交渉にも悪影響を及ぼす.米国に対して日本の「主張する外交」を示す意味でも,安倍首相はせっかく恵まれた好機を逃すことなく,不快感を表明して少しは波風を立てておくべきである.

 メディアの報道から受ける印象とは逆に,困っているのは日本や安倍首相ではなく米国であろう.肯定的に事態を見ることも必要である.中国の日米離間工作に乗ることにはなるが,それも良いではないか.米国に対して主張するということは,中国に対しても唯々諾々とは従わないというささやかな意思表示にはなるのだから.

 とにかく,娼婦の過去の辛苦を振りかざして友好国の首相に謝罪を勧告するとは,米国下院はなんと無神経で横柄なのだろう.教養も品位も政治感覚も疑う.「人権」という言葉に惑わされ,韓国や中国の反日宣伝工作に乗せられて,日本の追い落としや日米離間に加担していることに気付かないのだろうか.もしフェミニズムに基づく確信的行動なら,一顧だに値しない.あなた方はいつからマルクス主義者になったのか.

 決議案を支持しているらしい米国メディアも歴史を担った人々と時代に対する想像力に欠けている.また,歴史的事実や多くの日本人の心情についての理解がまるでない.決議案は日本人を侮辱し,戦争犯罪の烙印を耐え忍んできた心をまたしても痛めつけているというのに.それに,米国とは違って日本の社会には歴史上奴隷が存在しないのである.性奴隷という言葉で日本を罵るのは,的外れというものである.

 安倍首相が言うように,現在の規範からみれば,前世紀には人権侵害は山ほどある.そのなかでも些細な慰安婦制を殊更に取り上げ,朝鮮でもベトナムでも米軍が慰安所を設けていたことには素知らぬ顔をして,米国は傲慢にも世界に道徳の範を垂れようというのか.もし,米国人が偽善者でないというなら,自らのものも含めて残りの膨大な人権侵害に対してどのように対処するのか.下院議員さん方には火の粉が見えないようである.

 決議案の代表提案者であるマイク・ホンダ氏には多くの中国系支持者がいるそうである.その中国では売春どころか人身売買や誘拐,臓器売買が横行していると聞くが,それには眼をつぶるのか.過去の慰安婦制を「20世紀最大の人身売買事件である」と針小棒大に言ってデマを流していられる気楽な立場ではないはずである.

 最後に,拘束力もない米国下院決議案がなぜこんなに大きな騒動に発展したのであろうか.日本国内にそれを利用しようとする勢力があるからである.これを好機と騒ぎ立てたメディアがあり,安倍首相に見解を質した国会議員がいる.あるいは騒動の根本原因が河野談話にあることには素知らぬ顔をして責任転嫁し,河野談話を破棄しようとしたから外交問題になったのだと唱えて安倍首相の責任を追及する人たちもいる.日本国内では論争に敗れて逼塞していた人たちが,外国からの支援で勢いづいて日本叩きを再開したというわけである.この人たちには国家や国益という観念がないのであろう.

2007426日「おわりに」ほぼ完成)

 

 

[追加・補遺]

 

○ 対日非難決議が続々(2008.2.11)

 「いわゆる慰安婦問題での対日非難決議が七月の米国下院に続き、十一月にオランダ下院、カナダ下院、十二月に入ってEUの欧州会議でも採択された。決議はいずれも日本政府に公式謝罪を求め、カナダでは「慰安婦の性的奴隷化と人身売買に対する否定論者」への封じ込めを求める条項まで盛り込まれた。カナダ下院の決議は中国系女性議員らの提案によるものだ。

 こうした決議に法的拘束力はないが、世界の主要国が次々と過去の日本を攻め立てようとする背後に何があるのか、それを見抜く必要がある。同時に根拠なき非難には毅然と反論する姿勢が不可欠だ。

 戦後も六十年以上を経て、日本はその間ひたすら国際貢献、援助に尽くしてきたはずなのに、なぜこのような眼差しを浴びねばならないのか。そこには何世紀にもわたる巨大にして強固な構造がいまだに残っていると言わねばならない*。それを間違いなく明治人は知っていたが、昭和から平成にかけての日本人には見えなくなった。感じられなくなったのではないか。」

(上島嘉郎,操舵室から,正論,平成202月号,400

 

 * 簡単に言えば,植民地主義や人種差別を指すのであろう.大東亜戦争(太平洋戦争)の後,西欧列強はアジアの植民地を失った.日本は戦闘には敗れたが,アジアの解放と人種差別の撲滅という戦争目的は結果的には実現したのである.戦争目的を達成した日本はむしろ勝者であるという人もいる.西欧における対日非難決議の背景には,諸国の日本に対する潜在的な恨みと憎しみがあるのであろう.

 

○ 性奴隷問題の象徴に化けてしまった慰安婦問題―フェミニズムの介入(2008.2.12)

 “軍による連行”がデマであることが露見して賞味期限を迎えると,慰安婦が慰安所に閉じ込められた“広義の強制性”もあるよと問題をすり替える.次には,自ら言い出したことには頬かむりして,狭義とか広義とか細かいことにこだわるなと言う.そこにフェミニストが介入してきて,売春は何らかの強制によるものだから慰安婦と公娼はどちらも同じ性奴隷であると主張する.この主張は,国連人権委員会クマラスワミ報告を経て,米国下院の決議案に色濃く反映している.かくして,慰安婦問題は世界全体の売春という性奴隷問題の象徴に化けてしまい,最早慰安婦問題ではなくなってしまったのである.しかし,そんなことで代表責任を取らされる謂れがあろうか.(参考:西岡力,よくわかる慰安婦問題,209-211,草思社,2007

 

○ 暗躍した韓国外交官(2008.4.12)

 「韓国の親北左派政権は慰安婦問題での日本非難の声を国際社会に広げるために、多大な努力を積み重ねてきた。その一端を韓国紙・中央日報(1月8日インターネット版)が次のように報じた。

 「こうした成果をあげる過程で、重要な役割を果たした外交官がいる。金殷石参事官だ。駐米韓国大使館側によると、米議会担当の同氏は、慰安婦非難決議‥‥の可決における功労が認められ、勤政褒章の受章者に選定された。

 金氏は慰安婦非難決議の過程で『影武者』の役割を果たした。2006年に慰安婦決議の阻止に成功し、日本が油断していた07年1月下旬ごろ、ホンダ議員に決議案の発議を頼んだ後、可決に向けた運動を展開する在米韓国人団体などにホンダ議員を紹介するなど、可決に関連したすべての過程を調整した。

 それでも同氏は自分を徹底的に隠した。韓国政府が介入しているとの印象を与えれば、日本が同問題を外交対決の場へ持ち運ぶはずであり、その、場合米下院が負担を感じ、処理を保留するかも知れない、と判断したからだ」

 米国議会が慰安婦決議を採択した裏には「影武者」として「関連したすべての過程を調整した」韓国人外交官がいたのだ。盧武鉉大統領は平成17年3月1日「私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解します。同様に日本も立場を替えてみなければなりません。日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければならないのです」と演説し、国際社会に日本の歴史的悪行を広く知らしめる外交を展開してきた。この記事が紹介する金参事官はまさに、盧武鉉反日外交の尖兵といえる。在米日本大使館は金参事官の活動を知っていたのだろうか。外務省の米議会対策はあまりに弱体だといわざるを得ない。」

(西岡力,「価値観外交」で反日キャンペーンを突き崩せ,正論,平成203月号,141-142

11/28追加
○ 慰安婦非難決議はまぼろし!――10人ぽっちの決議は議事録に残らない

 「2007年7月末、米下院議会であの「20万人の女を拉致し毎日20人の相手をさせる性の奴隷にして殺した20世紀最悪の事件」とするマイク・ホンダの慰安婦非難決議が採択された。『東京新聞』は嬉しそうに「出席者から異議はなく、事実上の全会一致で採択された」(7月31日付夕刊)と書く。『朝日』も「下院外交委員会は6月26日に39対2の大差で可決。本会議でも3分の2以上の賛成が見込まれたことから、今回の採決は発声投票で行われた」といきさつも含めて全会一致をやたら強調した。

 戦後レジーム万歳。米国も日本は悪い国だと認めてくれた、と本当に嬉しそうな記事だ。ただ両紙とも肝心の下院435人のうち何人が出席したかには故意に触れていない。

 じつは出席者は定足数をはるかに下回る「たったの10人」ぽっちで、それでも構わないのはこの「決議採択は議事録にも載らない」(産経Web)からだ。

 いかにも事実を伝えているように見せて事実を歪曲し、ミスリードする。署名入りで書いた『朝日新聞』の小村田義之記者がそれをやったのか、デスクがそう書き直したのか。『朝日新聞』はしょせん、この程度の新聞なのだ。」

(高山正之,「モンスター新聞」が日本を滅ぼす,130-131,PHP,2008)

 

[蛇足] 共同提案者が167人いたそうである.この議員たちは何ゆえに共同提案し,何ゆえに採決時に欠席したのだろうか.

 

 

 

 

 

 

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