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 「いわゆる朝鮮人強制連行」について

 

 

○ 「朝鮮人強制連行」の初出版は1965年

 「日本の「朝鮮人強制連行」を最初に取り上げたのは戦後の一九六五年に発刊された『朝鮮人強制連行の記録』である。北朝鮮系の朝鮮大学校教員の在日朝鮮人朴慶植が書いたこの本には、一九三九年から四五年までの間に、六百万人もの朝鮮人が連行されたとされている。六五年は日韓基本条約締結の年だが、それまで十四年間に及んだ日韓交渉で、「強制連行」というものは一切話題にもなっていないのだが、これ以降「強制連行」説は広く流布され、同書などその重要テキストとなって今日に至っているのである。一九七五年以降からは、「連行」の「被害者」なる者も名乗り出るようになった。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,113

 

[注意](「強制連行の最も古い使用例)

 「ところで、この「強制連行」という言葉、これを、朴慶植の創作と考えるのは正しくない。一方に、「中国人強制連行」についての議論が一九五〇年代半ばからあり、他方に、かつてのコリア論者が強い影響を受けていた北朝鮮や朝鮮総連の媒体には、「強制」とか「強制的」という熟語をつけて帝国主義者を断罪するという悪癖があった。したがって、「朝鮮人強制連行」という言葉はいつ現われてもおかしくない状況にあったが、管見するところ、その最も古い例は、藤島宇内が『世界』(一九六〇年九月号)に寄せた「朝鮮人と日本人―極東の緊張と日・米帝国主義」という論文のようである。」

(鄭大均,「在日」はいかにして日本にやってきたのか,正論,平成168月号,82-83

 

 

○ 朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』の時代背景と悪意

 「朴慶植は一九二二年、朝鮮に生まれ、七歳の時日本に渡ってきた在日朝鮮人だった。この本を執筆した当時は、朝鮮総連が設立した朝鮮大学校の教員だった。朝鮮総連とは、言うまでもなく、金正日の指令に従って日本人拉致の手先となった組織である。

 この本が書かれた時代的な文脈は、二つあった。一つは、朝鮮総連が一九五〇年代の末から進めてきた北朝鮮への帰国事業が行き詰まったことである。在日朝鮮人の運動の目標は、北の祖国に帰ること、すなわち「帰国=祖国への貢献」という自己実現の方法だった。しかし、これは行き詰まる。都立大学教授・鄭大均氏は次のように書いている。

 <やがて在日たちは「地上の楽園」が北のプロパガンダにすぎないことに気づき、熱病のように拡がった帰国熱は急速に冷め、総連系人士には日本での定住を合理化する新しい根拠が必要となった。朴慶植氏の著書が刊行されたのはこのような時期であり、端的にいうと、それは五〇年代から六〇年代にかけて森田芳夫氏が発表した在日論へのアンチテーゼとして提示されたものである。在日一世の多くは「出かせぎ者」であり、より良い生活をするために故郷の農村を離れ、内地での生活を始めたのだと森田がいったのに対し、「いやいや朝鮮人は自ら好んで日本に渡ったのではなかった」と朴は反論し、強制連行説を唱えたのである。> ‥(中略)‥。

 私は恥ずかしながら、たしかにある時期、在日朝鮮人六十万人は、ほぼ全員が朝鮮半島から強制連行されて日本へ来た人々の子孫だと、漠然と思っていた時期がある。‥(中略)‥。そのうち、あるとき、偶然に、戦前日本に来た人々の大多数は、経済的により豊かな生活を求めて日本にやってきたものであるという説明を読んで、なるほどそうに違いない、そのほうが合理的に説明できる、と思った記憶がある。これは森田氏の実証的な研究の影響下の情報である。特別関心をもって自分で調べる機会がなければ、人はいくらでも誤情報に支配される

 朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』のもう一つの時代的文脈は、日本と韓国が戦後処理を協議した日韓会談に反対することである。これは、もう、この本の最初のページを開いた時から、一目瞭然である。‥(中略)‥。日韓基本条約の締結は、北朝鮮が日本から金を取れなくなることを意味したから、大問題だったわけである。

 この本は、たとえていえば、アメリカで出版されたアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の「強制連行」版だと思えばよい。それは学問的良心のひとかけらもなく、手段を選ばず日本を糾弾するために書かれた政治的プロパガンダの本である。だから、いたるところに捏造が施されている。」

(藤岡信勝,入試を利用した「強制連行」の強制を許さない,正論,平成154月号,106-107

 

 

○ 日本人にはできない「強制連行」

 「日本の図書館では「朝鮮人強制連行」に関する本の多さに驚くが、どれも頭を傾げたくなる内容ばかりだ。「強制連行者は炭坑、土木工事現場、工場などで苛酷な労働を強いられた。そこでは慢性的な食料不足で、餓死者の死肉まで貪り食われた」などと大真面目に書くものすらある。いかに戦時中とはいえ、捕虜収容所ですら人食いなどおこなわれていない。

 「夜間就寝中に突然たたき起こして連行する。すがりつく家族に暴力をふるい、引き離す。そして逃げないように手錠をかけ、トラックに押し込む」というのが「強制連行」の一般的イメージだ。しかし文化的に見て、そのようなことを日本人ができるだろうかというのが第一の疑問だ。朝鮮史には見られても、日本史の上で農民や住民を強制連行したといった話は出てこないのである。むしろこの「奴隷狩り」のイメージは、中国や朝鮮半島で日常的に発生している「人さらい」から導き出されたものではないか。金大中事件や北朝鮮による拉致事件は別としても、韓国では今でも誘拐事件は、年に一万件を超えることが珍しくない。中国などはそれ以上に婦女子誘拐が流行し、発生件数は年に数十万単位だ。幼児輸出では中国は韓国を抜き、今や世界でトップだ。

 要するに「強制連行」という人さらいは、大陸や半島の伝統文化なのである。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,113-114

 

 

○ 「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人

 「日韓合邦後、日本国民と見なされた朝鮮人は、よりよい暮らしと職をもとめて日本列島を目指した。そこで混乱を恐れる内務省警保局は、朝鮮人流入の阻止に躍起となり、渡航を規制した。だが法的に日本国民である以上、とても防ぎ切れるものではなかった。‥(中略)‥。

 結局、密航者取り締まりも効果は少なく、在日朝鮮人の数は一九二五年の十三万人弱から三三年には四十六万人へと急増している。その後「内鮮一体」のスローガンの下、朝鮮人の渡日規制撤廃と規制緩和を求める声は高まり、一部緩和が行われた。それもあって三四〜三七年までの渡日者数は十万人を超えている。

 一九三七年七月、支那事変の勃発で日本は戦時体制に突入、翌三八年四月には国家総動員法が成立した。しかしこの法律は内地の日本人に対するもので、朝鮮は適用外とされた。その後ようやく「統制募集」という名の内地企業による朝鮮人労働者の自由募集が認められた。四二年に「官斡旋」が始まったが、これも強制ではなく、転職も自由だった。日本人と同じ徴用令が朝鮮に適用されるようになったのは四四年九月である。しかし日鮮間の航路はすでに危険状態で、それによる人的流れはそれほどなかったその一方で不法渡航者は相変わらず増えつづけ、四〇年には百十九万人、四五年には二百十万人に達している。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,114-115

 

 

○ 密航者を強制送還しているというのに、一方で人狩り?

 「「朝鮮人強制連行」なるものは、国家総動員法に基づく国民徴用令が内地で施行されて以降、朝鮮人が内地へと労働動員された事態を歪曲したもので、その実態は、昭和十四年から十六年までの「募集」、昭和十七年から十九年九月までの朝鮮総督府による「官斡旋」、それから昭和十九年九月から二十年三月末までの「徴用」に分かれる。この内、真に「強制」と言えるのは、わずか七ヶ月だけ行われた「徴用」だけだ。

 この「徴用」以前に“人さらい”まがいの「強制連行」がなかったことは、当時の日本が朝鮮からの密入国者に悩まされており、昭和十四年から十七年までの間に、一万九千人を朝鮮へ強制送還している(しかも、一人当たり二円とか三円とかの費用を使って)事実から明らかだ(岡田邦弘『朝鮮人強制連行はあったのか』)。‥(中略)‥。朝鮮で“人狩り”をしながら、他方で密入国者を強制送還していたなどということがあろうはずがない。」

(新田均,「反日の連鎖」を打ち破るための理論武装入門,正論,平成176月号,114

 

 

○ 朝鮮人は戦時日本の国民だったことを忘れるな!

 「今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への「労務動員」を指して一般的には使われるが、それを「強制連行」と呼ぶのは、朝鮮人の被害者性を強調しすぎていると思われるからである。忘れてならないことが二つある。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック(水上註:民族としての)朝鮮人も日本国民の一部だったのだということと、当時の日本は戦争をしていたのだということである。

 戦争が長期化すると、徴兵が拡大し、労働力不足が生じる。それを補うために労働力の統制や動員が強化され、その過程で朝鮮半島出身の朝鮮人のなかに、炭坑や建設現場といった劣悪な労働現場に送り込まれ、重労働を強いられ、精神的苦痛が与えられ、食事、賃金などで民族差別的待遇を受けた者がいたのは事実であろう。

 加えていえば、一九三八年二月からは、徴兵制の対象外であった朝鮮人にも志願兵制度が適用され、四四年からは日本人同様、徴兵制も施行された。朝鮮半島にいる朝鮮人は総動員体制に巻き込まれ、犠牲が強いられていたのである。が、それをいうなら、エスニック日本人の男たちは戦場に駆り出されていたのであり、朝鮮人に対する労務動員は、それを代替するものであったことを忘れてはいけない。兵士として戦場に送られることに比べて、炭坑や建設現場に送り込まれ、重労働を強いられたことがより「犠牲者性」が大きかったなどと、私たちはいうことができるのだろうか

 日本人だって、一九三八年に成立した国家総動員法により、十五歳から四十五歳までの男子と十六歳から二十五歳までの女子は徴用の対象となったのであり、徴用とは強制的なものであった。「赤紙」召集(徴兵)であれ、「白紙」召集(徴用)であれ、それは強制力を持つものであり、応じない場合には、兵役法違反や国家総動員法違反として処罰され、「非国民」としての社会的制裁を受けたのである

 いいかえると、朝鮮人であれ、日本人であれ、当時の日本帝国の臣民は国に奉仕することが期待されていたのであり、多くの国民は、それに従属的に参加していた。したがって「強制連行」などという言葉で朝鮮人の被害者性を特権化し、また日本国の加害者性を強調する態度はおかしいのではないかと思うのである。」

(鄭大均,「在日」はいかにして日本にやってきたのか,正論,平成168月号,78

 

 

NHKの悪乗り‥‥童謡「七つの子」は強制連行された人たちの思いを歌ったもの?

 「七月九日の産経新聞で加地伸行氏は、永六輔が昨年二月、NHK教育テレビ「人間講座」「人はなぜ歌うのか」において述べたという野口雨情作詞「七つの子」に関する発言を冒頭に引用して批判している。

 永六輔の発言は「(野口雨情作詞の「七つの子」は)朝鮮の人々を内地に強制連行して炭坑で働かせたが、炭塵にまみれて真っ黒だったので、カラスと呼ばれていた。この人たちの“早く故郷に帰りたい”という思いを童謡という形にして書いたものだ。この話は雨情の弟子筋から聞いた」というものである。

 これにたいして加地氏は、「七つの子」は中国古典「詩経」の中の詩を踏んだ歌詞であると考え、その原文の通解は『ツツドリが桑の木にとまっている。その雛が七羽。みなすくすくと育っているのは、母鳥がみんなを可愛がって、餌を平等に与えているからだ。それと同じようにりっぱな人はだれに対するときでも平等な態度が変わらない。‥(後略)‥。』と述べる。

 さらに、<有情は啼き声の『カアカア』と『可愛』とが音が似ており音通するので、ツツドリでなくてカラスを選んだのであろう。そしてカラスの巣は山に設定する。‥(後略)‥。>と「七つの子」の歌詞を解釈している。‥(中略)‥。

 ところで、永六輔のいう「弟子筋の話」というのが根も葉もない「トンでも話」であることは、「七つの子」が大正十年の作であり、一方朝鮮半島から朝鮮人(当時の呼称)が戦時徴用(強制連行という言葉は当時はなかった)されたのは大東亜戦争末期のことであることからして考えるまでもなく分かることである。‥(中略)‥。

 すぐにウソと分かる話をテレビで話した永六輔にしても、その発言をなんの検証もせずそのまま流してしまうNHKにしても、自己の発言や報道の影響力の大きさに対する自覚のなさ、報道内容を検証する姿勢の欠如は寒心にたえない。」

(田原治,正論,平成168月号投書欄359-361

 

[閑話] 上の投書によれば,加地氏は,北原白秋作詞の「待ちぼうけ」も「韓非子」の中の「株を守る」話を踏んでいることを挙げ,明治の詩人は漢籍にも通暁していたことに注意を喚起している。

 

[注意] 上記のNHKの悪乗りは、うっかりミスであろうか.実はそうとも言えないのである.NHKが,「いわゆる強制連行」という問題はまだ片付いていないぞと政治的な宣伝をするために,誤りを承知のうえで放送した可能性はおおいにある.それはマスメディアが世論を誘導するために用いるサブリミナル効果(後で説明)の一種である.話は少し逸れるが,その他の世論誘導手段の一つに,まったく無視するという方法もある.次に,NHKの例を示しておこう.

 

 

NHK「プロジェクトX」の自衛隊はずし

 「二月八日放送のNHK「プロジェクトX」は「地下鉄サリン事件における聖路加病院の対応」を取り上げていました。この事件については、佐々淳行氏の著書『人の上に立つ人の仕事の〈実例〉「危機管理術」』(三笠書房刊。最近文春文庫から加筆されて刊行されています)により、これまで余り知られていなかった自衛隊関係者の活動について概要を承知していた。それらが如何なる形で表現されるのかを期待して見ました。

 結果は、自衛隊に係わる事項は全く無視されており、「矢張りNHKだな‥‥」と感じさせるものでありました。‥(中略)‥。

 番組に出演した当直医師や同僚の人々の活動を否定する訳ではもとよりありません。‥(中略)‥。さりとて自衛隊関係者の活動を全く無視してしまうという態度は些か(いささか)ならず問題ありと感じました。特にこの事件のように、毒ガスに対応する方法をといった場合に自衛隊関係者以外に適切な方策を速やかに(ここが重要)提案できる者はいないでしょう。(中略)‥。

 プロジェクトXは、以前にも「あさま山荘事件」を取り上げた際に警察関係者の活動を全く無視した一方的な見方による番組を作成して物議を醸した(かもした)ことがあったと記憶します。

 なかなか興味深いテーマを取り上げることで評判の高い番組ではありますが、時にこのような「傾向」を見せることがあるのは何故だろうか?と考えてしまいます。中村氏の「NHKウォッチング」が不可欠となるゆえんでしょうか‥‥。」

(後藤正治,,正論,平成174月号「編集者へ編集者から(投書欄)」372

 

[註]「NHKウォッチング」は月刊誌「正論」に連載されている中村粲氏のNHK批判記事である.

 

[補足](「その時歴史が動いた」でも偏向放送)

 NHKは,「その時歴史が動いた」でゾルゲを英雄として扱った.彼はソ連のスパイで,尾崎秀実(ほつみ)とともに日本で処刑された.ゾルゲは,日本がドイツと呼応して東からソ連を攻めることはないという貴重な情報を近衛文麿首相の側近の尾崎から得た.この情報ゆえに,ソ連は兵力を対ドイツ戦に集中して勝利することができた.そのスパイの業績に対してゾルゲはソ連で英雄とされたのである.しかし,何故に日本国民の我々がゾルゲを英雄視することを求められるのか.

 また,盧溝橋事件を扱ったときには,日本の軍部の動きだけを追って,軍部が理由もなく無分別に戦争に突入したかのごとき宣伝を行なった.このようなNHKの公共放送にふさわしからぬ偏向ぶりは,「知る人ぞ知る」のである.

 

 

○ 大学入試センター「強制連行」出題事件

 

(朝日新聞の報道)

 「自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(約80)が13日、約2年ぶりに党本部で会合を開き、経産相に就任した中川昭一氏に代わる新会長に古屋圭司副幹事長を選出した。会合では、今年1月に実施された大学入試センター試験の「世界史」の問題に「強制連行」という表現が使われたことに批判が相次ぎ、今後、歴史教科書から「強制連行」の記述の削除を求める運動に取り組む方針を決めた

 問題とされた設問は「日本統治下の朝鮮」について、四つの選択肢からひとつを選ぶもので、正解は「第2次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」。

 「新しい歴史教科書をつくる会」が1月末、「国民徴用令に基づく徴用は国家による合法的行為」「強制連行は戦後、日本を糾弾するための政治的意味合いを持った造語だ」などとして、大学入試センターに対し、問題作成者の氏名の公表や責任者の処分を求める公開質問状を出している。

 若手議員の会では、拉致議連事務局長も務める平沢勝栄会長代行が「日本が拉致問題を提起すると、北朝鮮から『日本は840万人も強制連行したのに、たかが十数人でどうして騒ぐんだ』と言われる。強制連行という言葉が拉致問題で政治的に利用されている」と指摘した。」

(「強制連行、教科書から削除を」自民若手の会要求方針決定,2004.2.14朝日新聞)

 

(朝日新聞への投書1)

「今年の大学入試センター試験・世界史で、「第2次世界大戦中の日本の強制連行」を問う問題が出題された。それを受けて自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は、歴史教科書から「強制連行」の記述の削除を求める運動に取り組む方針を決めたという。

 1894年の日清戦争の前、90年に教育勅語が出され、国民が戦争に邁進できるような国家主義教育を行う体制が取られた。日清戦争の10年後には日露戦争、さらにその10年後には第1次世界大戦に参戦。

 その間、1910年に韓国併合が行われた。そして多くの朝鮮半島の人々が強制連行で駆り出された。戦争に次ぐ戦争の結果、どういうことになったのか。私たちは知っている。

 また、強制連行という言葉が拉致問題で政治的に利用されているという指摘もあるそうだ。しかし、政治的な圧力で歴史の事実をねじ伏せようとしているのは一体誰なのか。

 長崎に来てから被爆者の方に教わった、戦争の最初の犠牲者は『真実』である」という言葉が脳裏をよぎる。かつての過ちを繰り返させてはならない。」

(奥山忍(教員,31),歴史の事実をねじ伏せるな,2004.2.28朝日新聞「声」欄への投書)

 

(朝日新聞への投書2)

「自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が、歴史教科書から「強制連行」の記述の削除を求める運動に取り組む方針だという記事を見て、私は愕然としました。

 私は受験生で、世界史の科目を受けたのですが、第2次世界大戦中に日本が行った「強制連行」は中学・高校の歴史で学び、そして一般知識としても当然知っていました。その当然として知られ、日本が戦後避けて通れずに責任をとらねばならなかった「強制連行」の問題を教科書から削除を求めるとはどういうことでしょうか。私は強い憤りを覚えました。

 なぜなら、大戦中、日本は朝鮮人を中心に「強制連行」を行い、多くの人に強制労働をさせたのです。そういう逃れようのない事実は、紛れもなく本当にあったのです。事実は事実としてきちんと受け止めるべきではないでしょうか。

 「新しい歴史教科書をつくる会」は大学入試センターの問題で責任者の処分を求める理由として、「国民徴用令に基づく徴用は国家による合法的行為」だとしていますが、「国家による合法」だというならば、それはすなわち、あの戦争の大義、あの戦争全体を肯定するのも同然なのではないでしょうか。

 歴史の事実は事実としてこれからも正しい歴史教育を行い、次の世代に語り継いでいくべきだと思います。」

(森永穣英(高校生,18),学校の教育で語り継ぐ必要,2004.2.28朝日新聞「声」欄への投書)

 

(参考:批判を浴びた出題)

[世界史(A?B共通問題)1問の問5

 日本統治下の朝鮮に関連して次の中から正しいものを一つだけ選びなさい。

@    朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が就任した。

A    朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土であった。

B    日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。

C    第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた。

 

(新聞発表による正解について)

新聞発表によれば,正解はCとされている.しかし,上で詳述したように,強制連行は政治宣伝用語であって歴史用語とはいえないので、この問題には正解がない.

また,センター試験では繰返し「強制連行」が出題されていることから,出題者の政治的意図が窺われる.これについては,藤岡信勝,共通一次・センター試験の自虐25年史,正論,平成166月号298-307に詳しい説明がある.

 

[寸評] 朝日新聞は,「新しい歴史教科書」は悪と決めつけ,「いわゆる強制連行」を政府追及の材料にしている.上の投書は朝日新聞の主張を代弁しているのである.このように,朝日新聞は投書を世論の誘導と模様見に利用する.調べてみれば判るが,朝日新聞の意向に反するような内容の投書が掲載されることは稀である.新聞が標榜する不偏不党は偽りである.

 

(センター試験問題作成者、後で公表へ)

 「文部科学省は26日、大学入試センター試験の問題作成者の氏名を、2年の任期終了後、原則として公表する方針を決めた。これまでは漏洩(ろうえい)の恐れなどを理由に非公表としてきたが、今年の「世界史」の設問に「強制連行」という表現が使われたことに反発した自民党議員グループが出題者の公表を強く求めたため、任期終了後の公表には応じざるをえないと判断した。」

2004.2.27朝日新聞)

 

 

○ 徴用された朝鮮人は戦後にほぼ全員が帰国した

 「日本にいた外国人はGHQ命令で退去させられ、いわゆる徴用者もそれでほぼ全員が帰国した。帰国する彼らのために国鉄(水上註:今のJRのこと)は特別車両を編成し、豪華な食事から寝台まで用意したが、のぼせた三国人の中には些細な落ち度をついて国鉄本社に殴り込みをかけるものもいた。応対に出た当時の旅客局長下山定則氏は彼らに袋だたきにされ、睾丸破裂の重症を負う。彼はのちに国鉄総裁になって自殺するのだが、このときの古傷を検視した古畑種基東大教授が愚かにも暴行と認定、世にも奇妙な死後轢断(れきだん)という判断をくだした。」

(高山正之,朝日の“英字紙”がやったこと,正論,平成189月号,100

 

 

○ 在日韓国人・朝鮮人の特権

 「この徴用について朴慶植が「朝鮮人強制連行の記録」を発表。「寝ていると警官と役人がきて手錠をかけて連行した」という創作話に朝日新聞は飛びついた。朝日新聞はこれをバネに今いる在日は強制連行で連れてこられた人たちという虚構をでっち上げていく

 ちなみに徴用された人たちは前述したようにマッカーサーが職権で帰した。それでも昔から居ついた朝鮮人の中に紛れ込んで居残った者もいて、厚生省の昭和34年の調べでは在日の1%以下、約四千人だったことが分かっている。

 しかし、そういう裏づけ調査をしない朝日新聞は「そんな人たちを普通の外国人永住者扱いしていいのか」と言い出し、北朝鮮と通じる社会党(当時)も後押しをして特別永住権を認めていく。どういうことかというと、外国人は懲役一年以上の罪を犯すと国外追放になる。しかし特別永住者は懲役七年以下、つまり気軽な殺人ならOK、それ以上の刑を受けても法務大臣の命令がないと国外追放にはならない。ちなみに在日の殺人事件は頻繁にあるが、過去法務大臣の国外追放命令は一件も出ていない。

 朝日新聞はさらにこれを推し進めて「彼らに指紋押捺を求めるのは人権問題」とやって世田谷一家四人殺しなどさまざまな事件が迷宮入りしている。」

(高山正之,朝日の“英字紙”がやったこと,正論,平成189月号,100-101

 

6.教育勅語は「軍国主義の元凶」か?

 

 上で朝日新聞への投書を2通紹介した.高校教員の投書には,「教育勅語が出され,国民が戦争に邁進できるような国家主義教育を行う体制が取られた」と書かれている.つまり,教育勅語は軍国主義の元凶だというのである.それは日本は悪い国であると主張する人たちの常套句である.

 今では教育勅語を読んだことのある人は稀であろう.「朝鮮人強制連行」についても,言葉を聞いたことがあるくらいで,意味についてはほとんど知るまい.朝日新聞は(あるいは他の新聞も)そういう不案内な読者に対して,投書にまでサブリミナル効果を仕組むことによって自社の主張を植え付けようとするのである.最近のいくつかの例が,“勝谷誠彦,SAPIO200539日号,20-22”に紹介されている.

 なお,“subliminal”とは「知覚限界外の」という意味で,とりたてて注意しなければ何の気なしに読み過ごしてしまう記事の部分が,潜在意識には植え付けられるのである.

 本当に教育勅語は軍国主義の元凶だったのであろうか.

 

 

☆ 教育勅語

 「(チン)(オモ)フニ我ガ皇祖(クワウソ)皇宗(クワウソウ)(クニ)(ハヂ)ムルコト宏遠(クワウエン)ニ徳ヲ()ツルコト深厚(シンコウ)ナリ 我カ臣民()ク忠ニ()ク孝ニ億兆(ココロ)(イツ)ニシテ世々()ノ美ヲ()セルハ此レ我カ国体ノ精華(セイクワ)ニシテ教育ノ淵源(エンゲン)(マタ)(ジツ)(ココ)(ソン)ス (ナンヂ)臣民父母ニ(カウ)兄弟(ケイテイ)(イウ)ニ夫婦(アヒ)()朋友(ホウイウ)(アヒ)(シン)恭倹(キヨウケン)(オノ)レヲ()博愛(ハクアイ)(シユウ)(オヨ)ホシ学ヲ(ヲサ)(ゲフ)(ナラ)(モツ)智能(チノウ)啓発(ケイハツ)徳器(トクキ)成就(ジヤウジユ)(ススン)公益(コウエキ)(ヒロ)世務(セイム)ヲ開キ常ニ国憲ヲ(オモン)国法(こくほう)(シタガ)ヒ一(タン)緩急(クワンキフ)アレハ義勇(コウ)(ホウ)(モツ)天壌(テンジヤウ)無窮(ムキユウ)皇運(クワウウン)扶翼(フヨク)スヘシ (カク)(ゴト)キハ(ヒト)()(チン)カ忠良ノ臣民タルノミナラス又(モツ)(ナンヂ)祖先ノ遺風(ヰフウ)顕彰(ケンシヤウ)スルニ()ラン 

 ()ノ道ハ実ニ我カ皇祖(クワウソ)皇宗(クワウソウ)遺訓(ヰクン)ニシテ子孫臣民ノ(トモ)遵守(ジユンシユ)スヘキ(トコロ)(コレ)古今(ココン)(ツウ)シテ(アヤマ)ラス之ヲ中外ニ(ホドコ)シテ(モトラ)ラス (チン)(ナンヂ)臣民(シンミン)(トモ)拳々(ケンケン)服膺(フクヨウ)シテ(ミナ)(ソノ)(トク)(イツ)ニセンコトヲ(コヒ)(ネガ)

 

  明治二十三年十月三十日」

 

(試みの現代語訳)

 思うに,遥か昔に国を建てて以来,我が皇室の先祖は深く厚く徳を積み重ねてきた.国民はどの時代にも心を合わせて忠と孝の美を成し遂げた.それは我が国の優れた国柄と言うべきもので,教育の基づくところはここなのである.国民よ,父母に孝養を尽くし,兄弟は仲良く,夫婦は力を合わせ,友達同士は信頼し合い,自らは慎み深く,他人には博愛の精神をもち,よく勉強し,仕事の能力を身に着けようではないか.そして,さらに教養と能力を高めて人格を磨き,進んで社会のために働き,常に憲法と法律に遵い,万一国家に緊急の事態が起きた場合には義侠心と勇気を奮い起こして国と社会のために尽力し,我が国運が永続するように支援しよう.上に述べたことは、善良な国民としての心得であるだけでなく,祖先が残した美風の素晴らしさを示すことにもなる.

 我が先祖が遺したこの教えは,子孫の我々も遵守し続けるべきもので,今も昔も誤りがなく,国の内外を問わず十分通用する普遍的なものである.私も国民と一緒に大いに努力して同じ徳性を備えようと思う.

 

 

○ 教育勅語の存在を前提として制定された教育基本法

 「1890年に発布された教育勅語は、軍国主義や個人の否定で成り立つ全体主義への傾斜を促すとして批判されてきたが、その中身をきちんと読めば、決してそうではないことがわかる。

 父母、兄弟、夫婦、朋友、自身の慎み、博愛、勉学、智能啓発、徳学、公益、責任、遵法を「十二の徳目」とし、自分の生まれた家庭と家族、地域、祖国との有機的なつながりのなかで、広い心を養い人格を磨くことの重要性も明記されている。事実、GHQ(連合国軍総司令部)のヘンダーソン教育課長は、軍国主義によって悪用されただけで「勅語それ自体は悪いところがない」と評価した。

 国学院大学の大原康男教授によれば、戦後の教育基本法と教育勅語は、並列して存在することを前提としていたという。だとすれば、473月末に制定された教育基本法に他者との心の絆の大切さや道徳的価値観の記述がなく、極めて近代的な個人の受益や自由ばかりに光を当てていることも理解できる。

 だが、48年に教育勅語は廃止され、日本の教育は2本柱の1本を失い、片肺飛行を余儀なくされることになった。それがGHQの指示によるものであることは、GHQ民政局の国会課長J.ウィリアムスが衆参両院の文教委員長を呼びつけ、国会で教育勅語の廃止決議を行なうよう指示したことからも明らかだ。」

(櫻井よしこ,自らの生存を「諸国民の公正と信義」に委ねる国家に品格などない,SAPIO, 2006510日号,10

 

 

○ 教育勅語発布の目的

 「いわゆる明治維新の国政刷新運動発足以来約二十年にして、日本は内閣制度を創設し、帝国大学を開学し、複数の政党を結成して国会開設の準備を整え(一八九〇年第一回帝国議会開会)、大日本帝国憲法を七年の準備期間を経て制定公布します。‥(中略)‥。謂ってみれば、西欧型の立憲君主制を基軸とする近代国家への政治・経済・社会面での再編成の作業が精力的に推進され、それが一段落したのが一八九〇年であります。是即ち日本が国を挙げて欧米的価値観を奉じ、個人の実力に基づく自由競争を原理としての利益追求、欲求充足型社会に移行した成果が事実の上で立証された年であります。

 この年に、この新国家建設運動の最高指導者であった明治天皇の「教育勅語」が国民に下賜されている。この事自体に既に大きな意味があります。つまりこの勅語は、日本の国家再編成という一連の作業の締め括りの一簣(いっき)であると同時に、右に列記しました様な目に見える形を以てしての功利的な建設事業には必然的に欠落している、精神・道徳面での前進のための指針でありました。これだけの大建設事業に、本来先行すべくしてなお欠けていた理念の提示、その大きな空白を補うのに、この勅語が示している文言の短さ、簡潔さは或る意味で驚くに足ります。」

(小堀桂一郎,東京裁判の呪ひ,285-286PHP研究所,1997)(原文は旧仮名遣い)

 

 

○ 教育勅語の文案作成に携わった人たち

 「この勅語の草案は、明治二十二年の暮に日本帝国第三代の内閣総理大臣として国政の最高の地位にありました山縣有朋が、時の法制局長官井上毅に起草を命じたものです。井上は帝国憲法の草案作成にも大きな役割を果たした人物で、‥(中略)‥、内外の典籍に深く通じた碩学(せきがく)でありました。

 井上の原案は既に現行の勅語正文にかなり近い形のものでありましたが、定稿に至るまでには天皇の侍講でありました元田永孚(ながざね)が校閲し、補訂の注文をつけ、草稿は両者の間を何度か往復します。明治天皇御自身も親しく校閲に当たられ、忌憚(きたん)のない削除・訂正・追加の御意志を表明されたということであります。即ちこの勅語が明治天皇の御著作であるという名分には十分の「実」が具(そな)わっております。‥(中略)‥。

 井上の前に同じく勅語原案の起草を委嘱されました文科大学教授中村正直は儒者であると同時にクリスチャンでもありまして、従って彼の起草した多分に功利主義的色彩の濃い草案では儒教の天道とキリスト教の唯一神が何の摩擦もなく融合したような道徳思想の表現が見てとれます。つまり中村もその独特の折衷的立場からの「普遍性」樹立の志向を有してはいたのでありますが、何といってもそこには元来結びつかぬものを至って気楽に結びつけてしまった様な無理が生じていました。彼の草案が井上からあっさりと斥(しりぞ)けられてしまったのは已(や)むを得ない次第でした。」

(小堀桂一郎,東京裁判の呪ひ,288-290PHP研究所,1997)(原文は旧仮名遣い)

 

 

○ 深い配慮がなされている教育勅語

(小堀桂一郎,東京裁判の呪ひ,288-291PHP研究所,1997)(原文は旧仮名遣い)

 

(規則や命令ではない)

 「井上が原案作成に当って最も配慮したのは次に述べる様な諸点であったことが、‥(中略)‥山縣首相宛ての書簡から見てとることができます。

 第一に、「教育勅語」は政治的に一定の意味と効果とを有する「詔書」とは性格を異にするものであって、これは君主の命令ではない、謂わば君主の個人的著作として扱うべきものだ、との性格付けがなされていました。日本は立憲君主政体を採用したのだ、という意識が明白にあります。この政体に在っては、君主と雖(いえど)も国民の「良心の自由」に干渉する権限はない、と考えるのです。これより八年前に、‥(中略)‥、やはり井上が関与してもいた「軍人勅諭」とも違うとにかく規則や命令といった性格を持たない、という配慮が大前提でした。詔書と違ってこの勅語には大臣の副署がありません。それは政令としての拘束力を持たないことを意味します。全文の結びの言葉が、‥(中略)‥、著作者たる天皇の希望の表明という文体で表現されているところにもそれは明らかです。」

 

(宗教的に無色)

 「次に、これが甚だ重要な配慮だと思いますが、起草者井上は、勅語本文に〈敬天〉とか〈尊神〉といった表現が入ること、及び哲学・倫理学などの専門的学術語を文中に用いること、更に漢学的及び洋学的臭味が文字遣いに表れることを念入りに避けたのであります。〈天〉という詞が入りますと、それは当然儒教の文脈で理解されます。〈神〉は更に厄介で、漢字の〈神〉は日本では神道の神々を表す文字でありますが、幕末の開国以来キリスト教の創造主を表す訳語としてもこの字が用いられる慣(なら)わしであります。そのどちらにとられても、これは特定の宗教的含蓄を帯びることになります。これは文体の印象が漢学調に偏しても又西洋風に傾いてもいけないという配慮がなされているのと同様の発想で、つまり当時の日本を舞台としてぶつかり合い、とかく摩擦を生じがちであった東西両洋の如何なる宗教・宗派にも依拠するものでないことを間接的に示す深謀でありました。」

 

(学説色を排除)

 「宗教上の特定の含蓄と同時に哲学上の術語の使用を避けたのも同じ配慮に出たものでありまして、術語の背後には大概の場合特定の学派の固有の学説の含蓄があります。従って特定の学説が勅語にその片鱗を見せただけで、その学派の反対派を刺激すると同時に、君主が学説上の争いに介入してその一方に与(くみ)したかの様な印象を与えるおそれがある。井上は、そうした印象を実に用心深く避けたのです。この過剰とも見える公平への配慮こそ実は帝王学の極意であります。」

 

(配慮が表現を窮屈にした)

 「斯様(かよう)にして、君主の地位に在るが故にこそ、帝王としての権威が国民の信教の自由、思想の自由、学問の自由に些(いささ)かでも干渉し影響することを極度に戒めた、その結果として勅語の表現は甚(はなは)だ窮屈な制限を課されることになりました。そうなると自然抽象的な道徳論は説きにくくなるわけで、そこでその所説は思い切って具体的で且つ卑近なものになります。」

 

(大らかなものであれ)

 「普遍性と言えば、キリスト教の十戒、仏教の五戒にも万人の認める普遍性はありましょう。そしてもちろん「教育勅語」に説く人倫の普遍性もそれらと根底に於て共通するものを有しております。而して勅語の含む普遍性と宗教的戒律の示すそれとの間には、内容よりも先ず表現の様式に於いて決定的な違いがあります。お気づきでしょうか。戒律というものは抑々(そもそも)が〈‥‥すべからず〉という発想に立っております。勅語の本文にはどこを見ても〈‥‥すべからず〉という語法が一箇所も無い。この一事を以てして見ても、この勅語には戒律の性格が皆無だということがわかるでありましょう。‥(中略)‥。

 井上は〈愚をいましめ、悪を戒める〉といった消極的(否定的)な表現は避ける、君主の教え訓される言葉は包容的な大らかなものでなくてはならない、という方針を(書簡に)明記しており、その方針は確かに実現されているのです。」


 

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