韓国と日本 その@
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日本は台湾を領有し,朝鮮を併合し,統治した.満洲国には深く係わった.それを野蛮で苛酷な植民地支配であると主張する人々がいる(日本にも多い).彼らは,野蛮の例として創氏改名や従軍慰安婦や朝鮮人強制連行などを挙げる.その宣伝の地は遂に米国にまで広がり,下院では,従軍慰安婦は性奴隷であり,軍慰安婦制度は20世紀最大の人身売買の一つであるとして,慰安婦への人権侵害に対して日本政府に謝罪を勧告する決議案が採択されそうな雲行きになっている(2007年4月26日現在).

 表面的には「従軍慰安婦」を取り上げた人権問題であっても,背後には「日本の侵略と野蛮な植民地支配」の非難という反日宣伝がある.したがって,我々はかつての台湾および朝鮮,満洲国における日本の統治や関わりについてよく知っておかなければならない.

 台湾や朝鮮の統治を一言で表せば,日本は近代化を行ったのである.野蛮な支配や苛酷な搾取などしていない.朝鮮の予算の15%20%を負担していた(*)と聞けば,朝鮮統治はむしろ日本にとって負担であったことが判るだろう.どのような統治をしたかは,事実を追えば判ることである.いわゆる従軍慰安婦や創氏改名を野蛮な支配の例として本当に信じているとすれば,無知だと言わざるをえない.

 創氏改名は,朝鮮人の要請に応じて創氏を容易にしたものであって,改名を強制したものではない.当時売春は違法ではなく,また社会全体が豊かではなかったのであるから,娼婦が多数おり,慰安婦を確保するために軍が拉致を行う必要などなかった.また,慰安婦は破格の報酬を得ていたから,奴隷ではない.

 今日本では売春は禁止されている.その法律すなわち売春防止法の施行は,戦後の昭和33である.そんな例を持ち出すまでもなく,当時と今では社会の状況も価値観も違う.今の価値観で先祖を裁くのは人道に外れる行為と言うべきである.最近,援助交際と呼ばれるものがあるが,呼び方を変えても,その実質が売春防止法違反であることは免れない.それから,ソープランドとは何をするところであろうか.そのような不法を看過している大らかだが不道徳な我々に,先祖を非難する資格があるとは思えない.

 兵士と性の問題については,どの国も叩けば埃が出る.米国とて例外ではない.他国に対して偉そうなことは言えないはずである.

 朝鮮を搾取したと言う人たちは当然当時の朝鮮が立派な国だったと思い込んでいるのだろうし,それを真に受ける人たちはついそう思い込まされてしまうのであろう.しかし,当時の朝鮮は今の北朝鮮のような悲惨な国で,搾取しようにも,搾取するべきものなどなかった.むしろ,日本は,日本(内地)国民を「搾取」して,つまりその血税を台湾・朝鮮・満州につぎ込んで,これらの地域を経営し,日本並みの近代社会の確立を目指して,文明開化をもたらし,殖産興業を推進したのである(**).

 第二次世界大戦を境に時代精神が植民地主義から国家主権尊重に大きく転換した.植民地主義の時代は白人による人種差別の時代であり,人権尊重が叫ばれるようになったのはごく最近のことである.国際連盟の発足に際して日本は人種差別撤廃を提案したが,狡猾なウィルソン大統領の米国を中心とする白人列強に拒絶された.大東亜戦争(太平洋戦争)で日本は東南アジアから一度は列強を追い出した.日本が敗れた後,列強はアジアの植民地を回復しようとしたが,住民との戦争に敗れ退散した.こうして世界は民族主義・国家主権の時代に移った.米国における黒人の公民権獲得はその恩恵である.

 重ねて書くが,戦前戦中の先祖あるいは先輩の行為を今の常識を原則として批判するのは慎しまなければならない.「日本は悪い国だった」という固定観念から離れて,事実を事実として見る姿勢が特に肝要である.さらに,歴史事実はそれを担った人たちを知らなければ本当には解らないということも銘とするべきである.

 以下は,主として朝鮮統治および満洲国について述べた書籍や雑誌の記事からの抜き書き集である.韓国の現状や日本人の精神的骨格をつくった教育勅語についても説明してある.上に記した事柄を思い起こしながら読んでほしい.北朝鮮に賠償するのは当然と思っている人はあっと驚くに違いない.

 なお,この抜き書き集は,「日本は悪者か?」と題する講義録の一章に加筆し,他の章の一部を取り入れて作成した.

 

*)黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,117

**)黄文雄,日本の植民地政策は間違っていなかった,正論,平成1512月号,297

 

[付言]以下で引用される新聞はもっぱら朝日新聞であるが,それは場合によっては私(水上)が朝日新聞の読者だからである.

 

 

 

1.創氏改名について

 

 

○ 創氏改名とは?

 「創氏改名」の実態については,たとえば,「坪井,大師堂,杉本,石川,元朝鮮総督府幹部が語る「創氏改名」の真相,正論,20038月号,50-65」に詳しい説明がある.概要を記しておこう.

 当時,朝鮮人だけでなく,台湾人のなかにも,日本風の姓名に変えたいという希望者が多数いたため,日本政府は昭和152月に,朝鮮では「創氏改名」,台湾では「改姓名」を許す政令を出した.ここで,「氏」とは家族のことである.それまで,朝鮮では夫婦は別姓(別血統)で,家族名はなかった.政令施行後6ケ月までに創氏の届出をしなかった家族の氏は戸主の姓とされた.すなわち,創氏改名とは,新たに氏という家族名をつくったものであるが,姓を廃止したわけではない.また,それまでの朝鮮の家族制度とは少し違うけれども,日本風の氏名を強制したわけではない

 台湾では改姓の許可には条件があり,改姓した人は少ない.

 話は少しそれるが,警察は創氏改名を推奨する立場はとらなかったという.なぜなら,警察にとっては,朝鮮人は朝鮮人の名前のままでいてくれるほうが都合がよかったからである.

 

 

○ 逆に、名前を替えることを許さなかったとしたら

(大師堂)「‥‥さっき坪井さんがいわれましたように、姓というのは、朝鮮人にとって非常に大事なものですから、それをないがしろにされたという怒りの気持ちを持ったことはよく分かります。しかし、創氏に強制があって怪しからんという声を聞くたびに思うのですが、逆に、「名前を替えることを禁ずる」とか「絶対に許さない」という政策を行ったとすれば、どうだったでしょうか。「内鮮一体といっているのに何だ」「差別をいつまで続けるのか」と非難されたと思います。物事の片方だけから見て、「創氏改名はけしからん」というのではなくて、両方から考えてみると、もう少し正確に理解できるのではないでしょうか。

(坪井,大師堂,杉本,石川,元朝鮮総督府幹部が語る「創氏改名」の真相,正論,平成158月号,58-59

 

 

○ 創氏改名をしなくても差別はなかった

 「現在の韓国の歴史教科書には「日帝は内鮮一体・日鮮同祖論・皇国臣民化などを掲げて‥‥姓氏と名前まで日本式に改めて使うことを強要した」などと書かれているが、これは事実ではない。いわゆる「創氏改名」は強制ではなく、志願や勧奨によるものだった。

 それが事実であることは、日本の陸軍士官学校を出て将校となり、日中戦争の勲功によって朝鮮出身者として初めて金鵄(きんし)勲章を授与された金錫源将軍が創氏改名をしていなかったという一例を挙げれば明らかだろう。強制ならば、それを拒んだ者に勲章が与えられるわけがない。ちなみに私たち大正生まれの世代も約2割は創氏改名をしなかったし、そのまま官庁や銀行などの要職に就いても差別を感じることはなかった。にもかかわらず、多くの者が日本式の氏名を名乗ったのは、日本や日本文化に対する好意を持っていたことの表れである。」

(崔基鎬,韓国同胞に大真面目に訴える!今こそ現代版「日韓併合」が必要だ,SAPIO2006614日号,33

 

 

○ 朝鮮人の名前の歴史

(坪井)「朝鮮人の名前の歴史を見ると、いろいろ考えさせられます。朝鮮人の本来の名前は金とか李とかじゃなく、日本の万葉仮名と同様に朝鮮読みだったものに漢字をあてたりしていたようですね。新羅の時代には、手柄のあった者が支那の姓を賜った。それがもとになって、金や李など支那式の姓が増えていきます。でも、上流階級の人たちだけが姓を持ち、下層階級の人たちには姓がなかったという話です。

 日本が統治するようになって、四民平等で、みんな姓を持つようになった。公式の戸籍制度はまだありませんから、自分たちの存在を明確にするため、私的に族譜というものを作るんです。日本でいえば家系図です。‥(中略)‥。やがて、日本の戸籍制度を参考にして、朝鮮戸籍令が施行されます。

 そのうち、佐藤や中村という日本式の名字をつけたいという人も現れ、内鮮一体ということで、氏を認めるようにした。‥(中略)‥。日本式の氏をつけた場合、名前も合わせて三郎などと日本式に変えることも認められた。それが昭和十五年の朝鮮民事令の改正、つまり創氏改名です。‥(後略)‥。」

(坪井,大師堂,石川,元朝鮮総督府幹部が「強制連行」に反論する,正論,平成153月号,59

 

[付言] 知識は乏しいが,史書に出てくる高句麗,百済,新羅の頃の人名を三例挙げておく.伊梨柯須弥(日本書紀の表現で,イリカスミと読む.高句麗の重臣で王を殺して権力を掌握した泉蓋蘇文のこと),鬼室福信(日本の読み方はキシツフクシンであるが,朝鮮読みは知らない.白村江の戦いのあと百済を再興し,日本にいた豊璋王子を呼び戻して王としたが,かえって豊璋王に殺され,その三ヶ月後に百済は完全に滅亡した),木満致(モクラマンチ.百済の官人であるが,蘇我氏の祖満智に比定する説がある)


 

3.歴史教科書問題

 

 

○ 歴史教科書問題の発端:宮沢談話と近隣諸国条項

「昭和五十七年に起きた「教科書誤報事件」(文部省記者クラブ勉強会で、ある社が「『華北への侵略』を『華北への進出』に書き換えさせた」との誤った報告を行い、これが広く報道されてしまった)を機に、宮沢喜一官房長官が談話を発表し、教科書検定基準にも「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という規定が追加されてしまった。「近隣諸国条項」と呼ばれているものである。」

高市早苗,教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか,正論,平成173月号,122

 

 

○ 近隣諸国条項がもたらした事態

「この規定追加により、歴史教科書の検定方針が変更されてしまった。例えば、「侵略」という用語の定義は非常に難しいが、日本による行為を「侵略」、「侵攻」、「侵入」という用語で記す事には検定意見が付かなくなった。「南京事件」については、「混乱のうちに起きた」という記述は認められなくなり、諸説様々の「南京事件の被害者数」も「執筆者から要請があれば、断定を避けた形で記述を認める」という事になった。日韓併合に関しても「神社参拝強制」、「日本語強制」との記述に検定意見が付かなくなった。つまり、日本側の大義名分は一切書き込めなくなり、日本の悪行を強調できる項目では不正確な内容でも記述できる様になったわけだ。

 教科書誤報事件は残念な事だったが、宮沢官房長官の行為は過剰反応だった。淡々と誤報であった旨を述べるだけで良かったはずだ。例えこれが誤報ではなく、実際に「侵略」が「進出」に書き換えられていたとしても、他国に干渉されるべき事柄ではない。この誤った政治判断により、必要な配慮を超えた出鱈目な教科書作りが既定路線となってしまった。」

高市早苗,教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか,正論,平成173月号,122-123

 

[付言] 朝鮮が日本の一部だった頃に朝鮮人に日本語の学習を強制したからといって,非難するには当たらない.日本語の使用を禁止するほうが不当である.近年,強制は何でも悪いことという無分別な風潮があるが,様々な正当な強制すなわち義務を否定しては世の中は成り立たない.「強制」に反対して自己の主張を正当化する人たちには用心するほうがよい.

 

[補足] 実は,近隣諸国条項追加前の1978年から歴史教科書には加害記述が多くなっていたのだという.家永教科書訴訟の影響で検定が緩められたからだと推測されている.(藤岡信勝,教科書採択の真相,78-85PHP新書,2005

 

 

○ 勢いづいた中国と韓国

「中国と韓国は勢いづいた。愚かな「近隣諸国条項」を楯に、昭和六十一年には、検定合格後の「新編日本史」の記述内容に文句を付けてきた。政府は内政事項として無視すべきだったが、数次にわたってこの教科書を修正させてしまった。

 平成十年には自虐性が増す一方の日本の教科書に危機感を覚えて「近隣諸国条項」を批判した教科書調査官が更迭された。」

高市早苗,教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか,正論,平成173月号,123

 

 

○ 近隣諸国条項を削除せよ

「平成十二年頃から、地方議会で「近隣諸国条項の削除を求める意見書」が採択されるなど、諸悪の根源除去への動きが広がりつつある。また、平成十三年には、町村信孝文部科学大臣が、昭和五十七年の「教科書誤報事件」について「マスコミの誤報だった」旨を公式発言し、遅まきながら二十三年前のボタンの掛け違いを修正してくださった。

 一時的な外交摩擦を恐れずに「近隣諸国条項」を削除する事が、教育正常化への第一歩だ。検定基準は法律ではなく、あくまでも官庁内の実務処理基準文書に過ぎないのだから。」

高市早苗,教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか,正論,平成173月号,123

 

 

 

4.日本の統治の実態を推測するには

 

 日本の統治の実態を推測するためには,他にどのような歴史的事実を追えばよいのだろうか.以下に,挙げてみよう.

   1)基本理念

   2)実施した政策

   3)人口の変化および餓死者数

        今の北朝鮮を見よ.日本が苛酷な搾取をしたとすれば,餓死者数は数百万人のはずではないか?また,搾取するべきものがなければ,搾取はできないという当然の認識も必要である.

   4)反乱や抵抗運動の頻度と激しさ

   5)戦後の発展状況

        搾取されて基盤が作られていなければ,発展できないか,あるいは発展は遅れるはずである

   6)韓国併合後,大韓帝国皇帝は日本の皇族の待遇を受けた

   7)朝鮮人は軍人(将校および下士官)になれたが,台湾人はなれなかった

        学徒動員はあった(台湾の李登輝元総統は学徒動員された)

   8)大日本帝国の帝国大学の数は9

                今,日本にある旧帝大の数は7

   9)孫基禎は南昇竜とともにベルリン・オリンピック(1936年)男子マラソンに出場し,優勝

        南昇竜は3

  102002年,台湾の高雄市は旧駅舎を保存

        1995年,韓国は旧朝鮮総督府の建物を破壊して気勢を上げた

 

 

○ 礼遇された李朝王族

 「近代市民革命の潮流のなかで倒れた国王一族というものは、たいていはフランスのルイ一六世やロシアのツァーのように、ギロチンや滅族の悲劇を避けることはできなかった。ところが、大韓帝国の皇帝はそうではなかった。日本の超安定政権のおかげである。‥(中略)‥。

 もし、李朝がイギリスの属国となっていたら、インドの属領に編入されたビルマ王室と同じ悲劇を歩んだことだろう。あるいは、ロシアの属領となっていたら、いったいどうなっていただろうか。また、ずっと清の属国でありつづけていたら、辛亥革命の荒波を傍観していられただろうか。

 ましてや、ただでさえ王室の内訌や朋党の対立が絶えないという伝統文化を持つ半島のことである。王室の悲劇は避けられないものだっただろう。

 しかし、日韓併合後、そんな心配はいらなかった。大韓帝国の皇帝だった高宗は、徳寿宮李太王と称され、日本の皇族の待遇を受けた。さらに、多くの重臣や功労者たちは華族として叙爵された。また、国王と王室に一五〇万円の歳費と皇室典範を与え、李完用総理をはじめ、侯爵六名、伯爵三名、男爵四五名など計七六名に貴族の爵位を与えた。」

(黄文雄,韓国は日本人がつくった,110-111,徳間書店,2002

 

 

○ 国王の復活など考えもしなかった韓国人

 国王の存在が政治を安定させるとの見方が,いま国際的に広まっているそうである.韓国でもそのブームに乗って最近は国王を懐かしがる声が強くなっているらしい.たしかに韓国人は「国王を奪った」と日本を非難攻撃し続けてきた.しかし,その一方で,日本の敗戦後,李朝の王族が生存していたにもかかわらず,韓国人は国王の復活など考えもしなかったのである.

 

 

○ 今でも続く前代否定の政治

 「もともと韓国人は、先祖を敬うことを重視している割には、前代のことを忘れ去る、あるいは消し去る傾向が強い。

 李朝五一八年の間には二七人の国王が君臨してきた。その多くは父子か兄弟が王位を継いだのだが、すべての新王は旧王の政策を一八〇度変え、踏襲することはほとんどなかった。中国でも、「一朝君主、一朝臣」といわれ、君主が代われば臣下もすべて代わるという世界であった。

 このように李朝では前代が後代によって否定されることが常であり、それを実現するために、政治的な粛清と虐殺を繰り返す。この歴史が、韓国人の民族性を形成してきたのである。

 このような前代否定の政治は、韓国建国後の李承晩から金大中政権に至るまで、現在でも続いている。その政風は、韓国独特の政権構造をつくっているのである。」

(黄文雄,韓国は日本人がつくった,115,徳間書店,2002

 

 

○ 「軍人になれる」ことの意味

 反戦平和を至上とする人たちには,軍人という言葉の印象はよくないかもしれない.しかし,軍人は,場合によっては命を犠牲にして国家を守るという崇高な使命を果たすべき人たちである.当然,信頼と尊敬の対象であった.朝鮮人が士官になれたということは,日本人とほとんど対等な日本国民とみなされ,信頼されていたことを示している

 

 

○ 戦犯として処刑された朝鮮人中将もいた

(坪井)「‥(前略)‥。私が学んだ京城帝大も同じ日本の学校ですから、当然、軍事教練はありました。

 朝鮮人には兵役の義務はなかったが、われわれと同じように、何の抵抗もなく軍事教練を受けていました。日本は文武両道ですが、朝鮮は古来武より文を重んじる傾向が強かったように思います。その朝鮮人の中にも、武というものに対する憧れのような感情が少しずつ出てきたんじゃないでしょうか。

 その典型が後に韓国の大統領になる朴正煕さんです。朴正煕さんは師範学校を出て満州国軍に入り、そこの士官学校に相当する学校(軍官学校)を受験、入学している。そこで非常に成績がよく、日本の士官学校に進学し、卒業しています。彼だけでなく、当時の朝鮮人青年の中には、兵役義務がないのに士官学校で勉強し、陸軍将校として殊勲を立て、中には中将にまで昇進し、戦犯裁判で処刑された人もいます。」

(坪井,大師堂,石川,元朝鮮総督府幹部が「強制連行」に反論する,正論,平成153月号,57-58

 

 

○ 洪思翊陸軍中将の人となり

 「大日本帝国の陸軍中将になった洪思翊(ホンサイク)という人物がいる。いわゆる創氏改名を行なわずに、朝鮮名のまま、陸軍中将になった。中将といえば、それより上位は大将と元帥しかいないわけだから、帝国陸軍のVIPである。洪思翊中将は、その存在そのものが、日本の統治の実相を示していると言えないこともない。しばしば日帝植民地時代と言われるのだが、ほんとうに植民地だと考えていたとすれば、その植民地人を、軍事力の最高幹部のひとりに登用するはずがない

 洪中将は、のちにマニラの捕虜収容所の所長だったことから、部下の行為の責任を負わされ、戦犯として処刑された。‥(中略)‥、故・山本七平氏が、その評伝を記している。中将といえば、多くの部下をもっている。山本氏に言わせると、多くの日本人の部下の聞き書きから、洪中将が、部下から慕われていたことが判るという。

 洪中将の心情を忖度(そんたく)することは、現在となっては不可能だが、日本の統治下において、自分が軍歴に於いて出世することが、同胞の励みになると考えていたに違いない。」

(豊田有恒,韓国が危ない,52PHP選書3732005

 

[補足] 山本七平は1986年に文藝春秋社から「洪思翊中将の処刑」を刊行した.この書は200610月筑摩書房によって上巻下巻に分けて復刊された(ちくま文庫や30-1,2).

 

 

○ 募兵に殺到

 「朝鮮では昭和十三年に志願兵制度ができ、最初の志願者は二千九百四十六人で、そのうち四百六人を合格させ、訓練所に入れた。訓練所で教育して、さらにふるいにかけ、百九十二人を入営させています。志願者数は十四年に一万二千三百四十八人、十五年は八万四千四百四十三人、十六年は十四万四千七百四十三人、十七年は二十五万四千二百七十三人と増え続け、昭和十八年には三十万三千三百九十四人に達します。三十万人の朝鮮人青年が兵隊を志願したんですよ。しかし、そんなに収容できないから、試験で六千三百人を採用し、訓練所に入れて教練した。そういう状況下で、昭和十九年から朝鮮人にも徴兵制が敷かれたんです。」

(坪井,大師堂,石川,元朝鮮総督府幹部が「強制連行」に反論する,正論,平成153月号,58

 

○ 学校、帝国大学、鉄道、道路、港湾などの建設

 「明治三十八年乙巳条約締結(日朝保護条約)。総督府は学制を改定し高等学校を増設。中学校を高等普通学校に改称。昭和十九年には公立学校二千二百十三校。生徒数二百三十九万八千人になっていました。京城帝大が創設されたのは大正十三年です。その図書館の費用は東京帝大の十倍です。台北帝大は昭和三年、大阪帝大は昭和六年の創設です。

 日本の国家予算が二十億円の時代に昭和十六年までの対朝鮮投資累積四十八億八千万円。昭和十九年までに総督府が整備事業にかけた費用は鉄道建設改良費二十一億八千万円、道路港湾二億四千万円、土木費合計六億四千万円。すべて日本国民の税金です。

 総督府は李朝以来の徭役(ようえき)制度を廃止して朝鮮人労働者に日当を払いました。李朝の奴隷からの解放です。」

(原子政幸,正論,平成174月号「ハイ、せいろん調査室です」,388-389

 

 

○ 孫基禎氏死去

 

(ベルリン五輪マラソンに優勝)

 20021116日,朝日新聞は,次のようなニュースを掲載した.

 「朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった36年のベルリン五輪のマラソンに「日本代表」の一人として出場し、2時間2919秒で優勝した孫基禎(ソン・ギジョン)さんが‥‥死去した。90歳だった。表彰台に立つ孫さんのシャツの胸にあった「日の丸」を東亜日報が塗りつぶして掲載し、朝鮮総督府から無期停刊処分(約10ヵ月で解除)を受けるなど、「民族の英雄」であるとともに、「屈辱の歴史」をも象徴する優勝だった。‥‥」.

 

(オリンピック優勝者が「悲劇の英雄」?)

 そのニュースは次のように続く.「心ならずも日の丸胸に」と見出しをつけて,「‥‥祖国が日本の統治下にあったため「心ならずも日の丸をつけて走り」「いい知れぬ屈辱」とのちに述懐する日章旗を翻させた悲劇のヒーローとしても、忘れ難い人だ。‥(中略)‥。孫さんにとって、ただ一つ心残りだったのは、ベルリン大会当時の「日本」の国籍が五輪公式記録に残ったままになっていることだろう。70年に韓国の国会議員がベルリン五輪スタジアム優勝者記念碑の「JAPAN」をノミで削り、「KOREA」と彫り直したが、国際オリンピック委員会(IOC)」の意向で「JAPAN」に復元される事件もあった。米国では、86年に韓国系住民の請願をいれて、カリフォルニア州にある歴代五輪マラソン優勝者記念碑をはじめ、五輪記録集などを手直しし、孫さんの国籍は日本から韓国に改められた。(水上註:これは歴史事実の改竄である.当時は韓国は存在しなかった)」

 

(日本スポーツ界は冷たい?)

 さらに,「84年ロス五輪に招待され、「韓国の孫」と満場にアナウンスされたときには「目頭が熱くなったよ」とのちに私にもらした。「日本オリンピック委員会(JOC)がIOCに国籍変更を申し出てくれれば解決するはず」という主張を私は幾度となく聞いた。あるときは激しく、あるときは日本への遠慮なのか、懇願するような調子で。「韓国の孫」と公式に言えるときまで「死ねない」とも訴えた。その最後の願いはかなえられなかった。ロス五輪スタジアムでの感動を、日本で味わわせてあげられなかったことを、残念に思う。それにしても日本スポーツ界は冷たかった。ワールドカップ・サッカー共催で日韓関係の好転に寄与したとはいうものの、日韓の不幸な時代の象徴的な問題を傍観しつづけ、なんらの動きも見せなかったことを惜しむ。」と日本を非難した.

 

(朝日新聞の記者の非常識)

 眼を疑うとは、このことだろう.この新聞は果たして日本の新聞なのだろうか.記者の肩書きは元編集委員であるが,その無節操には唖然とする.何かに目が眩んでいるとしか言いようがない.歴史的事実は「朝鮮人孫基禎選手が日本の代表としてオリンピックに出場し,優勝した」ということである.これは動かしようがない.そして,それは,韓国を併合した日本が,朝鮮人を日本人と対等に処遇したという一つの証拠である.しかも,上で指摘したように,同時に南昇竜氏という朝鮮人らしい選手が銅メダルに輝いているのである.孫氏に亡国の無念はあって当然であるが,それは朝鮮民族自らが招いたのだという視点は絶対に欠かせない.単に日本を悪者にすればすむことではない.日本の新聞が韓国人の情緒に溺れて,彼らが横車を押して歴史的事実を歪曲するお手伝いをしていては,日本の公器の役割は果たせない

 考えてもみよ.オリンピックに出場できるのは,国の代表に限られている.それなのに,亡国の民がオリンピックに出場できて,しかも優勝という栄誉まで得たのである.その彼がなにゆえに悲劇の英雄なのか.大新聞の元編集委員ともあろう者が,その程度の判断もできないのか.

 さらに言えば,この記事を読んで韓国人は喜ぶかも知れないが,日本人は反発するだろう.記者は日韓関係の好転を意図したのかもしれないが,その感覚は狂っている.この記事が日本人の嫌韓感情をさらに強めて,むしろ友好に逆効果をもたらすことを悟るべきである.

 もう一つ問題がある.それは孫氏の人格にかかわることである.われわれ庶民の素朴な感情としては,スポーツマン孫氏はオリンピックへの参加を喜びとしたと思うのである.そして,日本の代表に選ばれたことに感謝もしていたであろう.それでこそ,孫氏は人間として尊敬に値する.もし,日の丸を胸につけることを屈辱と言うなら,はじめから代表にならなければよいのである.孫氏が本当にそう言ったのなら,その瞬間から彼は恩知らずになる.この記事は孫氏の人格をも貶めているのである.

 

(歴史事実を歪曲するな!)

 念のため,付記しておく.孫氏が「韓国の孫」になってから,ずいぶん久しいであろう.そして,そうなったからといって,日本が彼の金メダルを取り上げたわけではない.したがって,「日本の代表」だったことを名乗りさえしなければ,彼は憚ることなく「ベルリン・オリンピックのマラソンで優勝した韓国の孫」だったのである.それ以上のことが望めたであろうか.筋の通らない恨み言を言って,歴史的事実を変えてはならない

 最後に,日本オリンピック委員会は名誉毀損でこの新聞を訴えるべきである.

 

 

○ まだ終わらない孫基禎氏の件

 「韓国オリンピック委員会(KOC)は9日、国際オリンピック委員会(IOC)の公式ホームページに36年ベルリン五輪のマラソン優勝者、孫基禎(ソン・キジョン)が日本名の「ソン・キテイ」で表記されているとして、IOCに削除と訂正を求めた。また、プロフィルを紹介するページでは、同選手の国籍が北朝鮮と表示されているため、KOCでは韓国に訂正するよう要求した。」◇「IOCは10日、孫基禎(ソン・キジョン)の表記に関する抗議を受け、国籍表示を「北朝鮮」から「韓国」に修正した。しかし、KOCが削除と訂正を求める日本名「ソン・キテイ」の表記は変更していない。」

2004.6.11朝日新聞)

 

 

○ 倍増した朝鮮の人口

 「戦後の韓国人はよく「日帝の植民地略奪」を強調し、日本人も朝鮮では台湾以上に過酷な統治が行われていたと考えがちだが、事実はまったくその逆である。朝鮮では台湾よりも地租が安く、産米も逆ざや制度が採られ、地下資源の経営も中央政府からの補助で支えられ、歳出も中央による年平均一五〜二〇パーセントの補填で支えられていた。資本投資も台湾より朝鮮の方が大きかった。そのため二十世紀初頭まで糞尿だらけで世界一不潔な都市といわれていた現ソウルなど、美しい近代的な街に変貌し、半島の人口も倍増した。普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり、常識だが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収しないという特別待遇だった。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,117-118

 

[補足] 「≪杉本氏の研究によれば、併合時(一九一〇年=明治四十三年)の朝鮮の人口は約千三百万で、一九四二年(昭和十七年)には約二千六百万と倍増している」(坪井,大師堂,杉本,石川,元朝鮮総督府幹部が語る「創氏改名」の真相,正論,平成158月号,63

 

 

○ 日本の今の政治家は心配する必要はない

(坪井)‥‥日本の今の政治家は当時の朝鮮統治について何も心配する必要はないんです。」

(杉本)「結局、僕は日本の歴史学者の責任じゃないかと思っています。日本の多くの歴史学者がマルクス主義に染まってしまった結果、朝鮮における日本の政策が歪めて伝えられるようになった。」

(坪井)「私は日本の過去が絶対に正しいとは思いませんが、何もかも日本が悪いという考え方には賛成できません。日本の統治は相応に評価されるべきです。」

(杉本)「冷静に日本の業績というものを考えてみますと、あの満州国をあれだけの期間で経済発展させ、治安を回復させた力はものすごいものです。そういう目で満州国の建設を見直す必要があります韓国や台湾についても、同じことがいえます。戦後、なぜ、あれだけの経済発展を実現できたのか。日本の統治があったからではないか。こういう視点からの再評価が必要です。」

(坪井,大師堂,杉本,石川,元朝鮮総督府幹部が語る「創氏改名」の真相,正論,平成158月号,62

 

 

○ 日本の過保護で世界一幸福だった二十世紀の朝鮮民族

 「二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど、過保護を受けて幸福に暮らしていた民族はいない。飢饉・疫病や戦乱・革命の被害も、自国民同士の朝鮮戦争を除いては、この国の人々の損害は実に小さい。このように韓国は、日本に依存しながら成長した国家なのである。戦後の国作りの成功、OECD加盟の達成にしても、日米の資本と技術の移転に頼ったからこそだ。「第二の国辱」と言われる九七年末以来の金融危機も、IMFの管理下にはいることで国際的地位を守っている。他力本願、ことに対日依存というのが、近代以降のこの国の体質になっている。

 しかし韓国人は民族の誇りから、このことを絶対に認めたくない。だから日本統治時代に行われた徴兵や徴用にしても、みな自分たちの意に反した「強制連行」だったと主張したがるのである。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,118

 

 

○ 韓国政府が反日政策をとるのは、国民が親日的だから

 「盧武鉉大統領はなぜ、これほどまでに日本に対する敵意を剥き出しにするのだろうか。多くの日本人は、それが韓国の「民意」を反映したものだと思っているに違いない。テレビのニュース映像では、事あるごとに日の丸を焼き捨て、大声で日本を罵る韓国人の姿が流されるからだ。

 しかし、日韓併合時代の真っ最中、1923年に生まれた私は、当時から現在にいたるまで、韓国の国民が必ずしも「反日」ではないことを知っている。むしろ韓国人は、根本的には日本に好ましい感情を抱いていると言っていいだろう。盧政権やメディアが世論や国民感情を反日に焚きつけているだけだ。

 実際、日韓併合時代は、私の生まれ故郷でも、韓国人と日本人が対立することなく、仲良く暮らしていた。終戦時はお互いに別れを惜しんで、涙を流しながら手を取り合っていたほどだ。‥(中略)‥。

 もし現在の韓国で政府が親日的な政策をとれば、国民のあいだに、文学や音楽からライフスタイルにいたるまで、日本の文化が深く浸透することだろう。しかし、為政者は、それが韓国の自主独立を脅かし、国家に亀裂を生じさせると考える。つまり政府としては、国民が反日感情を抱いているからではなく、むしろ親日的であるからこそ、逆に反日的な政策を取らざるを得ないわけだ。」

(崔基鎬,韓国同胞に大真面目に訴える!今こそ現代版「日韓併合」が必要だ,SAPIO2006614日号,32-33

 

 

○ 外交文書でも証明された「戦後補償は支払い済み」という真実

 

[要約](黒田勝弘,ソウルの風第4回,SAPIO200539日号,71

 日韓関係ではこれまで日本は受身一方で,相互理解といえば日本人が韓国を理解することのように言われてきた.しかし,お互いが理解し合うのが相互理解ではないのか.韓国は今や世界12位の経済大国だ.それなのに日本に対しては過去がらみのことをぐずぐずいい続けてきた.それは奇妙な虚構に基づくが,その虚構の一部が最近崩れた.韓国政府の日韓国交正常化交渉に関する外交文書の公開だ.日韓の合意は韓国ではマスコミや識者などが意図的に知らん顔をしてきたものだ.「日本は償っていない!反省していない!謝罪していない!」として反日感情を煽るために.他にも虚構はある.過去の日本をナチス・ドイツに比喩し,韓国をナチに一時占領されたフランスに見立てる話も韓国では流行り(はやり)だ.

 

 

○ 日韓国交正常化交渉における日本の姿勢―公開された外交公文書から判ること

 「新聞社には調査部という名のアーカイブがある。そこには事件の切り抜きや資料、書籍、縮刷版などがやまと保管され、例えば飛行機が落ちたとかの事件が起きると、記者はそこに駆け込んで基礎的な資料を漁り、データを集める。‥(中略)‥。朝日のアーカイブは今ひとつ信用できないところがあり、それで最近の朝日記者はあまり参考にしていない風なのだ。

 例えば先日、日韓条約の公文書が解禁され、実は日本は戦争被害者や統治時代の給料未払いなど個人補償もしていた、ただそれを韓国政府が流用していたことが明らかにされた。日本は補償もしていないと韓国人が言い立て、韓国系でもある朝日新聞もそうだそうだと言ってきた。

 ところがそうじゃなかったと分かって朝日は解説面124日)で言い訳を書いていた。この交渉で韓国側は「日本の植民地支配時代の未払い給与や預金、戦争被害の補償を求めた」とあるが、これは大嘘。

 アーカイブに行って交渉の当初から当れば、韓国側はまず「起訴状を朗読するようなトーンで」(シーボルトGHQ外交局長)戦時賠償と植民地統治の謝罪を求めた。それは「日本を破産させてしまうほどの巨額な要求だった」(同)。

 これに対して日本側は朝鮮と戦争もしないのに何故賠償なのかと抗議する。さらに日韓併合は国際法に則った(のっとった)もので何ら不都合はなく謝罪の必要もないと突っぱね、だいたい植民地支配というが、実際は搾取どころか、逆に日本政府がカネを持ち出す開発型ではないかと反論する。それが「禿山が緑に変わり、鉄道、電気が敷かれ、港湾が築かれた。治水で水田も増えたではないか」という久保田貫一郎代表(外務省参与)の発言だ。

 これに韓国が腹を立てて交渉が中断すると、当時の岡崎勝男外相は「当たり前のことを述べただけ」と韓国側を非難する。今の福島瑞穂の大先輩に当たる鈴木茂三郎、勝間田清一ら社会党左派の連中まで「李承晩になめられている」と怒る。そして朝日新聞も「朝鮮統治では日本はいいことをした。マイナス面ばかり言い立てるな」という久保田発言を支持し、韓国側の言う「植民地」という表現も遣っていない。

 結局、日韓会談はしばしば中断のあと、日本側の主張通り韓国側が「賠償」と「謝罪」という表現を引っ込め、個人補償を含めた戦後補償の形で決着し、調印している。

 この嘘の解説記事を書いた記者は一度、自社アーカイブに行って切りぬきを読んでみるといい。朝日の記事がまともだった時代があったことに気付くはずだ。

(高山正之,変見自在 連載139,週刊新潮,2005224日号,148

 

[寸言] 上記の歴史事実を無視した韓国の要求は正気の沙汰とは思えない.今でも韓国は,日帝の苛酷な搾取などと叫び,日本に歴史認識を正せと相変わらず的外れな要求をしている.日本の世論は日韓交渉の頃はまともだったが,困ったことに,今は無知や誤解が蔓延し,韓国の主張のほうに分があると信じている人が多い.メディアも大差がなく,日本は危機的状態に陥っている.現代史教育をおろそかにしたツケが回ってきていると言えよう.とにかく,上の記事から分かるように,日韓基本条約を締結した時点で,日本は過去のすべてのことに決着をつけているのだ.いつまでも昔のことを蒸し返そうというなら,日韓基本条約とは,そして国交正常化とは何だったのかと問わねばならない.

 

 

☆ 漫画にも出てくる歪曲報道

(あだち充,H2,第8巻,141-143,小学館,1994

 

[インタビューでは‥‥]

(新聞記者)「じつは、明和一高の橘英雄くんを大きく取り上げることになりまして、ご両親を始めいろんな方から、コメントをいただいているんです。―で、甲子園の橘くんに聞いたら、きみを友人代表として紹介されまして。」

(国見比呂)「そんなことだろうと思ったい。」

(新聞記者)「甲子園に行く前、橘くんは何かいってましたか?」

(国見比呂)「おれは、日本一のバッターになるって。」

(新聞記者)「お―、さすがですね。彼ならそういうセリフをいっても笑う者はいないでしょ。ふむふむ。」

(国見比呂)「だから、おまえは日本一のピッチャーになれって。」

(新聞記者)「「はっは!あ、失礼。それから?」

(国見比呂)「‥‥‥。そして、甲子園で会おう―ってさ。」

(新聞記者)「いやいや、やさしいなァ、友達を気遣うそのセリフ。いい話だ。―では、一番身近だった友達が、全国的な有名人になってしまったことに関して一言。」

(国見比呂)「おまえは、プロの野球選手でもなければアイドルタレントでもない。ただの高校生なんだ。まだまだ、人生の坂道を登り始めたばかり。坂道の途中でふんぞり返ったら、後ろに転がり落ちるぞ。いいか!人生は長い。」(水上註:これは橘英雄の父の言葉の受け売り)

(新聞記者)「エ―と‥‥。あ、どうもありがと。それじゃこれで。」

 

[報道されたことは‥‥]

(記事見出しと写真説明)「特集橘英雄明和一高二年生四番。ただの高校生ですと、とご両親。」

(国見比呂が新聞を読む)「友人A?昔からぼく達とはケタがちがってた?ぼく達には夢の夢の夢の甲子園でも、あいつの野球人生のなかでは、ただの一歩にすぎない?橘とチームメートだったことを一生の自慢にする?誰がじゃ!」(と言って新聞を握り潰す)

 

 

○ 日韓基本条約の基本認識と日本の謝罪の意味

 「過去の謝罪について日韓基本条約の前文には、「日本国及び大韓民国は、両国民間の関係の歴史的背景(略)を考慮し」という表現が入れられているだけです。これは韓国民が謝罪を求めているという点に「考慮する」という意味が含まれますが、日本側が謝罪するということにはなっていない。条約、協定の中に「謝罪」に関する表現は一切ありません。日本政府の植民地統治に関する基本的立場は、当時の国際法上「有効」「合法」だったというもので、この姿勢は現在も基本的には変化していない。‥(中略)‥。

 日韓併合条約を「(締結)当初から無効」と主張した韓国政府も、その論拠としたのは「民族感情」と「不満」という感情レベルのものでしかなく、感情を前面に押し出す以外、日本の統治を「不法」とする根拠はなかったのです。国際法上賠償請求権はないということを認識していたわけで、だからこそ日本に対する賠償を求めなかった。

 日本は条約(経済協力協定)の締結で、韓国に対し無償三億ドル、有償二億ドルの経済協力を実施しました。当時日本の外貨準備高十八億ドル、韓国のそれは一億三千万ドルで貿易赤字が二億九千万ドルでしたから、この時期の五億ドルが両国にとっていかに大きな金額だったかは明白です。‥(中略)‥。

 日本は韓国人戦争犠牲者に対して、個人補償ではなく国家間補償を実施した。それはサンフランシスコ講和条約で連合国側が決めた方針であり、かつ韓国政府が求めた方法でもあったのです。‥(中略)‥。

 中曽根康弘首相以来、歴代の首相は繰り返し「謝罪」を表明してきました。それは国際法上の「不法」を認めてのものではなく、あくまでも現時点から過去を振り返って「遺憾」であったというものです。‥(中略)‥。日本政府の謝罪は、先に述べたように、韓国政府が植民地支配の「不法」を主張する際に当時自分たちは「不満」だったという民族感情を根拠とせざるを得なかったことと裏表の関係で、そのような感情は十分理解できるし申し訳なく思うという、現在の価値観からの応答です。」

(西岡力,BOOK LESSON,正論,平成177月号,336-337

 

 


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