北朝鮮は日本に補償を要求できない

○ 北朝鮮には謝罪も補償も必要ない

 「日本と朝鮮半島の歴史に関する認識を「反日」という一つの側面だけで成り立たせるべきではない。一九七〇年代の韓国の驚異的発展を担った人材は日本の時代に教育を受けた、あの国で「親日派」と批判される人々であって独立運動家ではない。逆に日本時代の教育を受けた人々を排除した北朝鮮の発展がその後どうなったかは現状を見れば明らかだ

 私は北朝鮮(韓国も同様だが)の人々に礼を言ってもらいたいなどというつもりはない。施政がどうであろうと、異民族の支配には変わりないのだから違和感を持った人はいたろう。しかし少なくとも日本が国家としてこれ以上謝罪をする必要は全く存在しないし、賠償とみられるようなこともすべきではないすべきことがあるとすれば日本の一員として朝鮮の近代化のために奮闘し、大東亜戦争を日本人として共に戦った朝鮮の人々を顕彰し、敬意を払うことである。

 さらに言うなら、戦前の朝鮮の方が今の北朝鮮よりはるかに人権状況も生活もまともなことは明らかではないか(実際北朝鮮のお年寄りもそういうことを陰では言っているそうだ)。多くの左翼は半世紀前の、今よりはるかにましな日本の統治を非難しながら、最悪の状況にある現在の北朝鮮は放置したままだ。「かつて日本は朝鮮民族を蹂躙した」というなら、今苦しんでいる「朝鮮民族」を救うのにその数百倍のエネルギーを割くのが当然だろう。」

(荒木和博,北朝鮮は小泉訪朝前に拉致を認めていた,正論,平成159月号,277

 

 

○ 北朝鮮は群を抜く工業国だった

 「北朝鮮はかって、途上国のなかでも群を抜く工業国だった。日本の植民地支配の遺産である高度な産業基盤と重工業部門を受け継ぎ、ソ連の援助でさらに発展させて多様化することができた。その意味では、制裁が効きにくい経済体質のはずだが、金父子による失政が抵抗力を弱めた。北朝鮮経済を長年にわたって戦時体制下に置き、工業の多様性をすっかり奪ってしまった。ソ連崩壊後も旧態依然の戦時経済を維持したせいで、民生部門は壊滅状態となった。」

(李英和,北朝鮮国民に必要なのは「人道援助」ではなく「人道的介入」である,SAPIO2003625日号,86-87

 

 

○ 補償しなければならないのは北朝鮮

 「日朝首脳会談が行われる四日前の九月十三日付産経新聞の第一面に次の記事が載った。リードを引く。

 <日本が一九四五年当時、朝鮮半島の北朝鮮地域に残した資産総額は、現在の価格に換算して約八兆七千八百億円に上ることが十二日、分かった。日朝双方がサンフランシスコ講和条約の財産請求権を行使した場合、日本が北朝鮮に支払う額より、北朝鮮が日本に支払う額の方が約五、六兆円超過し、北朝鮮側が大幅に不利になるとされる。現体制維持のために不可欠な巨額資金が必要とされる北朝鮮が「補償」要求から一転して「経済協力方式」に応じる構えをみせ始めた最大の理由には、そうした不利を回避するねらいがあるとみられる>

 ‥(中略)‥。さらに記事を追う。

 <このうち、政府、個人資産と港湾など軍関連施設以外の資産は、鴨緑江の水豊ダムなど北朝鮮に残したものが当時の価格で四百四十五億七千万円。軍関連資産は十六億五千万円となり、非軍事と軍事の両方で四百六十二億二千万円。総合卸売物価指数の一九〇を掛けると現在価格で八兆七千八百億円相当となる>

 ‥(中略)‥。別表(省略)は産経の記事に付されたもので、北朝鮮分が全体の半分強である。このうち実に九六%強が民間資産で、その額は現在価格でなんと八兆四千六百八十億円に達するのである。この巨額の資産の実態は何か。記事には「鴨緑江の水豊ダムなど」とあるが、これは日本窒素肥料(現チッソ)の創始者、野口遵を中心に展開された壮大な水力発電の開発と、その電力による膨大な化学工業なのである。」

(片岡正巳,日本が北朝鮮に遺した「プロジェクトX」の莫大な資産,正論,平成156月号,70-71

 

 

○ 鴨緑江水系ダム建設の絶大な役割

 「赴戦江、長津江、虚川江のダム建設は高山岳の山奥である。道路づくりから始められ、鉄道も敷設した。赴戦江、長津江では標高の低い発電所側と、海抜一、二〇〇メートルの貯水池側を結ぶ鋼索鉄道も建設されたし、水豊ダム・発電所建設では、資材運搬のために鴨緑江に鉄橋を造って、鉄道を旧満州にまで延ばした。これら道路、鉄道が朝鮮北部(現在の北朝鮮)の交通・運輸の発展に寄与した度合いは極めて大きい。山中の鋼索鉄道は木材運搬にも利用され、製材業が興隆することにもなった。

 また、各発電所の放流水は単に日本海に注いだのではなく、工業用水として使われたばかりか、灌漑用水の供給源となった。赴戦江、長津江発電所の放流水で一万数千町歩(一億数千万平方メートル、東京ドームの約三千倍)の水田が潤い、さらに生産された化学肥料はこれを肥沃な農地に変えた。

 なんといっても最大の貢献は莫大な電気の供給である。赴戦江の発電は一〇〇%日本窒素肥料の興南工場で使用、すなわち自家使用であったが、長津江は自家使用五〇%、虚川江は三三%で、残りはすべて民生用に回されたのである。これを発電量でいえば長津江は三二万六、五〇〇kWの半分、一六万三、〇〇〇余kW、虚川江では三三万八、五〇〇kWの六七%、約二二万七、〇〇〇kW、両発電所合計で約三九万kWが民生用となったのであった。

 水豊発電所の七〇万kWは満州と朝鮮に二分され、三五万kWの朝鮮分うち三分の二が民生用、三分の一(総体の六分の一)が自家使用であった。民生用は二三万三、〇〇〇余kWになる。つまり全発電量一五六万余kWのうち約六二万kWが朝鮮の民生用であった。‥(中略)‥。黒四ダムで映画にまでなった有名な黒四発電所(昭和三十八年竣工)が二三万四、〇〇〇kW(下註参照)である。鴨緑江水系発電所の規模の大きさもさることながら、六二万kWの民生用電気のもつ意味は絶大であった

 朝鮮総督府はこの事業を認可するに当たって、それぞれ右の条件をつけたのである。総督府はこの事業を朝鮮の発展、とりわけ経済、民度向上に役立てようと図ったし、野口遵も久保田豊もただの企業家、技術者ではなかった。」

(片岡正巳,日本が北朝鮮に遺した「プロジェクトX」の莫大な資産,正論,平成156月号,75-76

 

[註]インターネットで調べたところでは、335kWである.

 

 

○ 画期的な一大化学コンビナートの出現

 「興南は名もなき百数十戸が点在する一寒村であった。位置は北朝鮮咸鏡南道の咸興のやや南で日本海に面する。咸興の南だから興南と呼ぶようになったようだが、ここに一大電気化学コンビナートが出現するのである。興南工場の敷地は約一、九八〇万平方メートル(約六〇〇万坪)で、当時、世界一の水電解工場世界第三位で日本一のアンモニア合成工場をはじめ、硫安、硫酸、油脂、火薬、カーバイド、マグネシウム、人造宝石、メタノール合成、石炭直接液化などの工場が続々と造営された。いずれも当時日本一の規模であった。

 これほどの工場群であっただけに、付属修理工場としての工作工場も日本一なら、これら大設備で使用される機械・装置類の単位容量もまた日本一であった。また、使用される機械・装置は日本で初めてのものがほとんどで、まさに近代化学工業の最先端を行く画期的な工場群であった。‥(中略)‥。

 人口一八万の都市なら当然に商業も興隆するし、さまざまな業種が集まる。すなわち一大経済圏が生まれたのである。日本から渡った人も多いが、経済効果の恩恵を多く享受したのは朝鮮の人たちで、周辺の農民、ことに先に記した肥沃な水田は農民を潤している。」

(片岡正巳,日本が北朝鮮に遺した「プロジェクトX」の莫大な資産,正論,平成156月号,77-79

 

 

○ 北朝鮮の真っ赤な嘘

 「昭和四十年代の初めに水豊発電所を訪れた旧日窒社員の話によれば、ダムも発電所も、偉大なる将軍さま金日成閣下がお造りになったことになっているそうである。さもありなん。とはいえ、いかな北朝鮮でも、古老はウソを百も承知であろう。だが、レーニンはいみじくも言っている「ウソも百ぺんつけば真実になる」と。‥(中略)‥。

 極端な電力不足、飢餓、餓死者の群、そして絶えない悲惨な脱北者、それらと鴨緑江水系の大発電所、肥料を中心とした興南化学コンビナート、あの肥沃な田畑を重ね合わせると、金日成から金正日にいたる金王朝の暴政、虐政が、改めて強烈かつ鮮明に浮き彫りにされる。興南は寂れ果てているにちがいない。」

(片岡正巳,日本が北朝鮮に遺した「プロジェクトX」の莫大な資産,正論,平成156月号,82

 

 

○ 先人たちの壮大な事績を抹殺するな!

 「「日朝平壌宣言」には「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とある。植民地支配とは何たる言い草か。あれは「併合」であって、国際的に正当性があった。ましてや日本は、朝鮮半島の近代化に力を注いだのである。「謙虚に受け止め」る「歴史の事実」とは何か「痛切」に何を「反省」するというのか

 歴史を振り返れば、反省するべき点もあるだろう。しかし、日本の朝鮮半島統治は極めて建設的なものであった。植民地支配という言い方で負い目を抱くことも、ましてや卑屈になる筋合はない

 国交正常化を視野に入れている日本政府は、過去を謝罪した上で、戦前の財産請求権を放棄するという。しかし、先人たちの北朝鮮における苦難に満ちた偉業、その事績は消えない。無に帰せしめてはならない。それこそが歴史である。謝罪する日本政府は先達の事績を何と考えているか。何を放棄するというのか。」

(片岡正巳,日本が北朝鮮に遺した「プロジェクトX」の莫大な資産,正論,平成156月号,82-83

 

 

○ 足りないものを外から持ってくる北朝鮮の体質

 「北朝鮮という国家は金成柱というソ連軍大尉が金日成と名乗りスターリンの命令によって権力を手にし、インフラは日本時代に作られた宝の山を労せずして手に入れ、軍も建軍過程で三個師団を中国から譲り受ける(朝鮮戦争開戦後に中国が支援した人民義勇軍とは別)という、与えられたものばかりで作られた国である。この点は毛沢東ともホー・チミンとも異なる。足りないものを自分で作ろうとせず外から持ってくる(それがモノであれ、カネであれ、人であれ)。したがって拉致はこの体制が維持される限り常に随伴する行為である。」

(荒木和博,北朝鮮は小泉訪朝前に拉致を認めていた,正論,平成159月号,275

 

[補足] 戦前,金日成という英雄がいて,白馬に跨って颯爽と満洲やシベリアで独立運動を展開した.金成柱はその金日成の名を騙ったのである.すなわち戦後に登場した金日成は偽者である