インドネシア

スカルノ(初代大統領)

「我々がオランダから独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことができないわけがないと発奮したからである」

モハメッド・ハッタ(初代副大統領、スカルノと並ぶ独立の父)

日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日に始まった。 

サンパス (元復員軍人省長官)

「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。

日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。それ以上のものを彼ら日本人は我々に与えてくれた。」


アラムシャ (元第3副首相)


「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。

それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」


         (日本軍はインドネシアのオランダ軍を9日間で降伏させた)


アラムシャ(インドネシア陸軍大将)

日本に後5年頑張って欲しかった。

そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立出来た筈だ。

そして中東もアフリカもこんなに苦しまずに済んだ筈だ。

ナセル(第2代エジプト大統領)

第三次中東戦争に惨敗した時の言葉

「アジアには日本がいた。アラブには日本がいなかった」


ブン・トモ 元情報相

 われわれアジア・アフリカの有色人種は、
ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。

インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。

それなのに日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で
徹底的に打ちのめしてくれた

われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度手にした自信は決して失われることはない。

そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、
我々がやらねばならなかった戦争だった。

そして実は我々の力でやりたかった。


それなのに全てを日本に背負わせて、
日本を滅亡寸前にまで追い込んで仕舞った。

申し訳ない。

                    (昭和32年の来日の際の発言)


モハメッド・ナチール 元首相

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」






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