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いわゆる「従軍慰安婦」問題

 

いわゆる従軍慰安婦」について

 

 

○ 台韓関係史は慰安婦から始まる

 「「慰安婦」の「強制連行」の嘘については改めて言うまでもないが、朝鮮は農政が崩壊した「三政紊乱」の十九世紀にはすでにアジア最大の「慰安婦」(売春婦)輸出国になっている。朝鮮人慰安婦は中国商人によって安く買い取られ、満州を初め中国各地、そして台湾にまで売られている。台韓関係史などは、十九世紀に台湾北部の石炭採掘現場に朝鮮人売春婦が入ったことに始まっている。彼女たちは終戦まで、台湾の地方にまで広がっていた。私の故郷でも最大の売春宿は朝鮮人の経営で、朝鮮人売春婦たちが働いていた。韓国・朝鮮人がこれほど「日帝」の極悪非道の搾取・略奪を譴責(けんせき)し続けるのは,李朝以来の苛斂誅求や、朝鮮戦争での同一民族殺し合いの罪と責任を免れたいがためにすぎない。

 そしてもう一つは、日本から賠償金を獲得するためだ。

 二〇〇二年九月、金正日は日本人拉致を認めながら、「戦前の日本人による数百万人もの朝鮮人強制連行に比べれば、取るに足らない人数である」と主張した。このような「免罪符」を切り札とし、あくまで日本からカネをむしり取ろうとする主張は彼だけに限らず、中国の指導者たちも行っている。」

(黄文雄,誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差,正論,平成156月号,116

 

 

○ 慰安婦賠償金要求は恥さらしな行為

「水準以下の左派的な心性の表れのひとつに従軍慰安婦の問題がある。共産主義世界では、性も革命の武器として活用せよという言葉がある。太平洋戦争中に韓国人女性が日本軍の性的慰安物として利用されたといって、謝罪と賠償を要求し続けている様は、日本を奈落に突き落としてしまおうとした自分たちがむしろ先に落ちるという「邪悪さと愚かさ」の代表例ではなかろうか。

 戦争中に軍人たちが女性を性的慰安物として利用するのは日本だけのことではない。日本が韓国の女性を戦争中にそのように利用しようとしたということも、戦争中の一時的なものであって例外の現象だった。そうした戦争の犠牲者が数万、数十万だったのであれば5W1Hの原則にしたがった明確な証拠を探し出し、正式に議論せねばならなかった。

 しかしそんなに多い数ではなかったのに、そのような辱めを受けたと言う老婆を引き連れてきて誇張した事実をふりかざし何度も賠償金を要求する。こんなことが高尚な民族のふるまいといえるだろうか。

 韓国の新聞や放送はなぜこのような老婆たちの行動や反日感情を刺激する記事を熱心に報道するのか。性の問題は金に換えられぬことだというのに、なぜ金の問題と結びつけてまで恥さらしを続けるのか。このような恥さらしをしてどうして偉大な民族であると言えるのか。」

(韓昇助(ハン・スンジョ),共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―日韓併合を再評価せよ,正論,平成174月号,296-297

 

 

○ 「慰安婦狩り」などあったはずがない

 

[状況証拠1]

 「私たちは、当時の朝鮮人を考える時に、彼らが在日朝鮮人のように、多くの日本人に取り囲まれて暮らしていたかのように思い込んでいるのではないだろうか。ところが、朝鮮の人口に占める日本人の割合は、大正期までは一パーセント足らず、昭和六年でも二・五パーセントにすぎなかった。つまり、日本人は圧倒的多数の朝鮮人に囲まれて暮らしていたのが実状だった。その上、警察署長、裁判所の判事・検事、朝鮮総督府の局長・部長・課長に朝鮮人がおり、道知事や軍人にも朝鮮人がいたこのような状況の中で「慰安婦狩り」などできただろうか。できたとすれば、よほど朝鮮人というのは臆病な人々なのだと解釈せざるをえないが、勿論、そんなことはない。」

(新田均,「反日の連鎖」を打ち破るための理論武装入門,正論,平成176月号,113

 

[状況証拠2]

 「‥‥朝鮮で徴兵制が実施されたのは、徴用と同じく、敗戦直前の昭和十九年のことで、ほとんどの朝鮮人兵士は、昭和十三年から実施された志願兵制によって「志願」した人々だった。それはとても狭き門で、昭和十三年で七・七倍、その後も倍率は上がり続け、昭和十七年にはなんと六二・四倍にまでなっている。‥(中略)‥。朝鮮各地で日本軍が「慰安婦狩り」をしていたとしたら、そんな悪逆非道な軍隊に朝鮮人の若者たちが続々と志願した、などということがあり得ただろうか。」

(新田均,「反日の連鎖」を打ち破るための理論武装入門,正論,平成176月号,116

 

[状況証拠3]

 「戦前、戦時中を朝鮮で過ごした私の体験では、女子の強制連行があったような徴候を感じたことは一度もなかった。もしも強制連行の事実があれば、一般住民の間に大きな動揺が起きたであろうし、それが私たちの耳に入らぬはずはない。もしも万を数える女性の強制連行があったとすれば、その数倍を超える目撃者がいたはずであり、これらの目撃者による非難の声が戦後早々から全朝鮮から沸き上がって当然である。七十万を超える朝鮮からの日本人引き揚げ者が、引き揚げの途中でこれについての非難を浴びせられぬはずはない。もしもこれが事実なら朝鮮の学生がそれまでに見せた学生運動の実績から考えて、学生の抗議運動が全朝鮮に展開されて当然であり、それが全く見られぬことなど考えられるであろうか。」

大師堂経慰,「河野談話」の放置は決して許されない,正論,平成177月号,312

 

[状況証拠4]

 「大田市は当時、忠清南道という日本でいえば県に当たる地方の道庁所在地で、知事は韓国出身者でした。知事の息子も私達と机を並べていましたが彼は今でも健在で、同窓会にはいつも顔を出しています。

 私が言いたいのは、今盛んに言われている、戦時中の日本軍隊が、従軍慰安婦という当時の私達は聞いた事も見た事もない、韓国人の女性達を強制的に戦地へ連行して日本兵の慰安に供したという事や、韓国人男性を強制的に内地の工場へ連行して労働に従事させたというような事は、彼らは一言も言った事はないし、また認めてはいません。それらは皆事実に反するからです。

 もしそのような事があったら、当時韓国出身の知事や配属将校が黙っていなかったでしょう。また女性が身体を売る売春行為は、当時の日本では国が認めていた事ですし、当然大田市内にもそのような場所があって休日には駐屯していた軍の若い兵隊達が出入りしていました。私達同級生の中の韓国人も、日本軍隊へ志願して戦場へ赴く人もいたのです。」

(森光弘,もういい加減にしろ!正論,平成177月号読者の指定席,354

 

 

☆[小解説](軍慰安婦の実態および「従軍慰安婦問題」の経緯)20074月記)

 

(軍慰安婦の実態)

日本軍は慰安所を設けていた.兵士による住民への暴行の防止,および住民の反日感情の抑制のための配慮であり,また兵士を性病から守るためと言われている。慰安婦の総数は2万数千人で、その4割が日本人,3割が現地人,2割が朝鮮人だという(*).ただし,朝鮮人は当時日本国民であったという点では,ことさら日本人と区別する必要はなかろう.また,慰安婦は報酬を得ていた.非の打ち所のない環境で働いていたなどとはもとより言わないが,奴隷と決めつけるのは誤りである.なお,日本政府は慰安婦の数は確定できないとしている(**)

(*) 孫引きであるが,秦郁彦著「戦場と性」,新潮社,1999

(**) 内閣官房内閣外政審議室,いわゆる従軍慰安婦問題について,平成584日.日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編「歴史教科書への疑問」(展転社,平成912月)の巻末資料による.

 

(「従軍慰安婦」は最近の造語)

 従軍看護婦や従軍記者という言葉はあるが,当時軍慰安婦が従軍慰安婦と呼ばれたことはない.「従軍慰安婦」という言葉は最近の造語で,多くの場合,“ためにする議論”のなかで用いられる.しばしば「いわゆる」を冠して用いられるのはそのためである.

 「いわゆる従軍慰安婦」は,軍が拉致(強制連行)して,軍慰安所で奴隷のように働かせたということになっている.しかし,既述のように,当時は娼婦がいたので,軍が慰安婦を集めるために拉致を行う理由はなく,業者が募集したのである.好き好んで慰安婦になった人はいないであろうから,業者の人集めには暗い話がつきまとう.だからといって,その募集自体は違法ではないし,もちろん,国家の犯罪ではない.

 

(政府首脳の安易な謝罪)

 問題は,平成四年に当時の加藤紘一官房長官が談話で,「従軍慰安婦」に味わわせた辛苦に対して詫びたこと,その直後に当時の宮沢喜一首相が訪韓して慰安婦問題への反省と謝罪の記者会見を行なったこと,さらに,平成五年に当時の河野洋平官房長官が,証拠がなかったにもかかわらず,慰安婦募集段階で官憲が関与した可能性つまり強制性を認めたことである.そのうえ,慰安婦問題を日本の歴史教育に反映させることまで約束してしまった.その結果,平成8年には、すべての中学歴史教科書に「従軍慰安婦」という用語が登場した。日本政府が「強制性」を認めた背景には,「強制性を認めて欲しい」と言う韓国政府への外交的配慮があったとされている。当時,韓国政府は,「日本政府は真実を明らかにすればよい。補償は要らぬ」と言っていたが(大師堂経慰,「河野談話」の放置は決して許されない,正論,平成177月号,310),今では,厚顔にも,認めたのだから補償せよと要求している.韓国とはこういう国なのだ.外交で安易な妥協は禁物である.

 

(「従軍慰安婦」問題が生まれた過程)

「従軍慰安婦問題」の端緒は,吉田清治という日本人が1983年に出版した本のなかで「軍の命令で済州島で慰安婦狩りを行った」と告白したことである.この告白は虚偽であることが後に韓国人記者や日本の研究者によって暴かれたが,韓国ではその本が翻訳されて,「慰安婦強制連行説」が広まってしまった.そして,韓国政府が政治カードとして用い始めた.

 19918月,朝日新聞が,軍隊によって女子挺身隊の名で戦場へ連行されたという金学順なる「従軍慰安婦」がいると報道した.「従軍慰安婦」という言葉は,初出は昭和53年刊行の千田夏光の著作「従軍慰安婦」らしいが,この報道以後頻出するようになった.しかし,その数日後に彼女は「養父に売られた」と語っていたのである.記事を書いた記者は植村隆といい,後に賠償謝罪要求訴訟を起こした原告組織の韓国人常務理事の娘婿であった.その頃,朝日新聞は吉田清治の本の宣伝も行っている.

 1989年末から高木健一という日本の弁護士らが韓国へ行き,賠償と謝罪を求める訴訟の原告となる「従軍慰安婦」を探し始めた.提訴は,宮沢首相訪韓を政治的好機としてその直前に照準を合わせて199112月に行われた.三人の原告の一人は金学順である.訴状には彼女は養父に売られたと書いてあったが,裁判開始後に強制連行されたと主張を変更した.

 提訴と並行して原告と支援者が連日のように内閣外政審議室に要請に押しかけ,騒然たる雰囲気になった.それに呼応して,国会で野党議員が政府の速やかな調査と対応を求めた.

 翌年111日,宮沢首相訪韓の5日前に,朝日新聞はあたかも「日本軍が強制連行に関与した証拠」が見つかったかのように報道した.この報道は誤りで,その関与の証拠なるものは,朝鮮では拉致・誘拐などを行う悪徳業者がいるので警察と連携を密にして社会問題にならないようにせよという軍の注意文書だったことが,後に判明した.しかし,追い討ちをかけられた宮沢首相は検証する時間的余裕もなく訪韓し,真相を知らないまま安易に謝罪した.朝日新聞の報道は単なる事実誤認というより,意図的なものと疑われている.

 上述の経緯をみれば,朝日新聞が,そして野党国会議員も,「従軍慰安婦問題」の形成に大役を果たしたことは間違いない.

 

[註] 女子挺身隊とは,戦時中に産業労働力不足を補うために未婚の女子を動員してつくった組織.慰安婦はそのなかに入らない.

 

(狭義の強制と広義の強制)

 朝日新聞が問題にしていたのは慰安婦強制連行であったはずだが,それを裏付ける証拠を探し出せなかった.しかし,朝日新聞は論争における自らの敗北を認めず,973月になって「奴隷狩りという狭義の強制性に限定せず,慰安所における慰安婦の自由と尊厳の侵害という広義の強制性も問題にすべきだ」と論点をすり替えた.

 娼妓が不自由であるのは慰安所に限ったことではなく,一般の遊郭でも同様である.したがって,朝日新聞の主張はもはや慰安婦制に対する糾弾ではなく,売春の公認に対する非難に変わったのである.それに対しては当然,「吉原の女にも国が謝罪せよと言うのか」という反発が出る.なお,朝日新聞の詭弁は,河野談話の「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という見解と同じである.

 

[補足](論点のすり替えを繰り返す朝日新聞)

 「米下院での慰安婦問題決議騒動に際して、安倍首相が「広義の強制性はあったが狭義の強制性はなかった」と説明したのは河野談話の足かせがあるからで、苦渋の選択だったと言える。少なくとも国内外の批判に堪えうる極めて穏当な発言だったが、これに対して朝日新聞は0736日付朝刊の社説で、「細かな定義や区別にことさらこだわるのは、日本を代表する立場の首相として潔い態度とは言えない」と批判した。これまでの議論をまったく無視して、広義も狭義もないと言っているわけでまともな議論ができる相手でないことがよくわかる。」

SAPIO編集部,アメリカ人にもわかる「従軍慰安婦問題」の基礎知識SAPIO200759日号,19

 

(インドネシアにおける慰安婦強制連行)

 インドネシアでは,日本軍の現地部隊が慰安所を設置し,軍の方針に反してオランダ人や現地人を慰安婦として連行した事例が複数あった.これらの慰安所は軍の知るところとなり,二ヵ月くらい後に閉鎖された.この件では,戦後の軍事裁判で軍人5人と慰安所経営者5人がBC級戦犯として死刑を含む重罰を科された(人数は一書による).

 

(問題の根は国内にある)

 いわゆる従軍慰安婦問題だけでなく,歴史教科書問題にせよ,靖国神社参拝問題にせよ,日本嫌いの日本人の誰かがマッチで火を点け,反日的なマスコミが煽って火勢を強め,中国や韓国が騒ぎ出し,日本政府が無原則な謝罪をして火を消すというパターンで事態は推移する.そのようにして一時的に鎮火しても,その無原則な謝罪が既成事実化して,次の火種となる.そういうことを繰り返しているうちに,日本はどんどん悪者にされて名誉を失い,同時に国益を損じるのである.今般の米国下院の対日謝罪勧告決議案はその典型であろう.問題の根は外国にあるというより,むしろ国内にある.

 

 

☆ 河野談話(慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話)

 「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年十二月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

  平成五年八月四日」

 

[註]自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は勉強会の成果を,「歴史教科書への疑問」と題して平成912月に展転社から出版した.この本には,石原信雄官房副長官による河野談話に至る背景の詳しい説明と河野官房長官自身による談話発表の理由の説明が収録されている.また,慰安婦・教科書問題だけでなく,シベリヤ抑留や「遺棄化学兵器」など戦後処理を広く取り上げている.なお,「若手議員の会」の当時の代表は中川昭一現自民党政調会長で,安倍晋三現首相が幹事長だった.

 

[寸言]84日は宮沢内閣が総辞職した日である.つまり,河野談話はドサクサ紛れの置き土産である.

 

 

○ 小野田寛郎氏の証言

(小野田寛郎,私が見た「従軍慰安婦」の正体,正論,平成171月号,143-148

 

(戦場に慰安婦はいたが,従軍慰安婦という言葉は聞いたことがない)

 「外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は,兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。

 大東亜戦争当時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが,「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。私も聞いたことがない。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。」

 

(足を早く洗える)

 「内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、‥(後略)‥。‥(中略)‥。

 ‥‥そんなことに関係なく彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見出せなかった。‥(中略)‥。

 明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされたことに変わりはなかった。先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。」

 

(兵士は給料の三分の一を慰安所へ支出)

 「当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で、全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。‥(中略)‥。

 ちなみに当時の給料は兵は一ヶ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額百三十二万円になる。「零戦」や「隼」といった戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である.」

 

[参考] 業者が出した軍慰安婦募集の広告を,最近ウェブサイトで見た.それによれば、月給は300円である.3000円まで前借り可能という条件を付けている業者もある.上の兵士の給料と較べれば,破格の待遇であることが分かるであろう.

 

(軍の関与は身を守る行為)

 「前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。‥(中略)‥。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。

 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。‥(中略)‥。

 野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。

 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守る行為で、それから一歩も出ていない。」

 

(社会の現実)

 「「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか、売るから買うのかはともかく、地球上に人間が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性(さが)が存在するからだ。」

 

[付言] 小野田少尉が“フィリピンのルバング島における孤独な戦闘”に終止符を打ったのは,日本の降伏から28年以上も経った昭和493月のことだった.

 

 

○ なぜ日本だけが問題にされるのか

「兵隊と性の関係が戦争と戦後においてやむを得ぬ現実であることはあらゆる国の大人の常識である。いいことでなくても、現実を動かすのに必要なことはどの国にも存在する。終戦後の日本にも、アメリカ進駐軍用の約二十万人ともいわれる日本人娼婦がいて、オンリーとかパンパンと呼ばれていた。ベトナム戦争では韓国人兵士がベトナム女性との間に約七千人の私生児を残したといわれる。ナチスドイツは性病で兵力の殺がれるのを恐れて、軍統制の完全な管理売春を運営していた。東欧からの素人女性の強制徴発は歴史的証拠が残っている。ナチスのホロコーストの巨悪の影に隠れて、そんなテーマは問題にもされない

 なぜ日本だけが問題にされるのか。なぜ子供向けの教科書にまでそんなテーマを記載することを「戦争への反省」とか「過去への償い」の名で呼ぶのか。これはきわめて日本的な現象、今の日本人に特有の問題である。」

(西尾幹二,歴史と民族への責任,正論,平成173月号,134-135

 

[補足] 日本政府は降伏を決めてから,進駐軍兵士の非行防止対策として,特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association,略称RAA)を設置した.この施設は一年足らずで,GHQ(占領軍総司令部)によって廃止された.その後はパンパンやオンリーが米兵を慰安したが,各地で米兵による強姦事件が多発して,進駐軍は最後には慰安所の設置を日本政府に求めたという.米兵は日本に多くの混血児を残したが,日本兵による混血児問題が深刻化したという記憶はない.朝鮮戦争でもベトナム戦争でも米軍は慰安所を設けていた.ベトナムでは韓国軍兵士も米軍の慰安所を利用したらしい.

 

[参考](韓国のテキサス村)

 「筆者は本誌200759日号で、「テキサス村」を取り上げた。テキサス村とは韓国での米軍人相手の慰安所である。しかもこの慰安所は民間ではなく韓国政府が管理していた。その後、200918日にニューヨーク・タイムズ紙は「韓国は在韓米軍に『慰安婦』を提供していた」との記事を掲載した。記事の中で「韓国自体の歴史を厳しい目で検証せずに日本から賠償を求めるのは偽善だと、歴代韓国政府を非難している」「韓国政府は、米軍相手の大手売春斡旋業者でした」などとレポートを裏付ける女性たちの証言が列記されている。だが朝日新聞はこのことを一行も報じていない。「朝鮮版」と同様、社の方針に都合の悪いことは“なかったこと”にするのだろうか。」

(水間政憲,朝日新聞〈朝鮮版〉の研究,第二弾 「慰安婦」報道=戦前・戦後の大矛盾,SAPIO 2009.4.2292-94

「確かなことは「娼妓」は存在したが、「従軍軍慰安婦」は存在しなかったことだ。旧軍によるいかなる強制行為、強制連行もなかったことだ。にも拘わらず愚かな宮沢内閣、河野洋平官房長官って、二十五万人もの朝鮮人の処女たちが奴隷狩りのようにトラックに載せられて、南の前線に連行され、強姦され、売淫を強制されたというデマが尾鰭(おひれ)をつけて、世界のマスコミに流れた。私はドイツの新聞でこの内容のいくつもの告発記事を読んでいる。国連が調査に動き出した。民族の過去を黒くすることで自分を道徳的に白く美化できると思い込むあの日本国内の勢力が、国際機関で暗躍した。心ある日本人はデマを耳にし、怒りに打ち震えた。」

(西尾幹二,歴史と民族への責任,正論,平成173月号,135

 

[補足](確証のない河野談話は「歴史の捏造」)

 「日本政府のスポークスマンである官房長官が、確証もないままに「強制連行」を認めた行為は、「歴史の捏造」に他ならない。河野官房長官によって世界中に発信された日本の野蛮な犯罪行為は、国連人権委員会やILO(国際労働機関)で取り上げられ、日本国民全体の名誉が損なわれてしまった。」

(高市早苗,教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか,正論,平成173月号,125

 

[付言1](クマラスワミ報告)

 1996年,国連人権委員会に提出された「クマラスワミ報告」は,慰安婦を「性奴隷」と呼び,その人権侵害に対して日本政府が賠償と関係者の処罰を行うよう提言した.この報告書は信憑性に疑問があり,情緒的に過ぎて平和条約と国際法によってなりたつ国際秩序を乱すので,支持されなかった.とはいえ,報告を求めた立場の人権委員会はその報告を否定するわけにもいかないので,take note(留意する)という最低の評価を与えた.日本政府はなんら法的義務を負わないが,それは棄却されたわけではなく,今でも生き続けて,災いの種になっている.反日宣伝の成果は十分あげていると見るべきであろう.

 

[付言2](国連人権委員会に告発した日本人は?)

 2007329日の朝日新聞(愛媛版)「ニッポン人・脈・記」欄によると,国連人権委員会に「従軍慰安婦は性奴隷だ」として告発したのは人権派弁護士戸塚悦郎(龍谷大教授)である.やはり,日本人が動いている.彼は「従軍慰安婦は犯罪なんですよ。北朝鮮の拉致と同じ犯罪なんですよ。拉致はあれだけ追及し、慰安婦にはそっけないではダブルスタンダード。同じ態度で臨まないと国際的に理解されないんじゃないか」と言っている.過去の問題と現在の問題がどう同じなのか,状況も実態もなぜ同じと思えるのか,理解に苦しむ.勘繰れば,北朝鮮の拉致の追及は止めよと聞こえないこともない.また,こういう話が手柄話のように報道されることにも首を傾(かし)げざるをえない.

(注)(2008.2.11追加) 北朝鮮は国連などの場における拉致問題での日本からの批判に対抗して,「生きている人は帰したから拉致問題は既に解決している.日本は,戦前,二〇万人の朝鮮女性を性奴隷にし,八百万人の労働者を強制連行するという大きな人権侵害を犯しながら,未だそれを解決していないのに,はるかに小さい拉致問題を取り上げて我々を非難するのは不当だ」というような宣伝を行っている.

 

○ 日本政府の行動を制約する河野談話

(大師堂)「河野談話の放置が許されないもう一つの理由は、日本政府の行動を制約しているということです.具体的に申しますと、国連の人権委員会で,慰安婦の強制連行を認めたクマラスワミ報告やマクドガル報告が出された時,日本政府は「強制連行はなかった」と主張すべきなんですが、河野談話があるからそれができない。補償問題としては解決済みだとか、アジア平和基金を作って処理しているとか、そんな言い訳ばっかりしているんです。日本政府が河野談話を再検討し、間違いだったと認めれば、国連でも事実関係を正しく主張できるわけです。

 山口地裁下関支部で慰安婦の賠償請求訴訟の判決が出ましたね。その時、被告の国側は事実関係について全く争っていません。もっぱら、原告の主張をそのまま認めているようなものです。河野談話があるため、事実関係で争うことができないのです。」

(中略)‥。

(坪井)「日朝国交正常化交渉で日本の経済協力という局面になった場合、北朝鮮は河野談話をもとに、日本にいろんなことをいってきて膨大な金を取ろうとする可能性が強い。」

(坪井,大師堂,石川,元朝鮮総督府幹部が「強制連行」に反論する,正論,平成153月号,57

 

 

○ 言論界では勝負がついている

「石原信雄元官房副長官の調査と証言によって、国家関与の強制行為、強制連行は否定された。河野元官房長官でさえ自分の謝罪談話が証拠に裏づけられていなかったこと、曖昧な憶測であったことを最後に認めた。

 あれほど大騒ぎして、志ある多くの人の努力で、国家的恥辱を言論界あげて克服したのは八年ほど前の出来事であった。‥(中略)‥。

 「教科書から慰安婦の言葉が減ってよかった」と中山成彬文科相が大分で語ったとされる一件があり、(細田)官房長官はこれについて問われると、「政府の考え方とは違い、理解できない発言だ。政府の政策に変更はない」と語ったという(『朝日新聞』十二月四日)。

 心ある人は変だな、細田さん、ちょっとおかしいんじゃないの、と思ったであろう。すでに述べた通り、この問題は言論界で勝負がついている。政権内部で解決を怠っていたとしたらむしろそれが問われるべきである。「従軍慰安婦」の記述が教科書から減ったことを改善と見る中山文科相はあらゆる意味で正しい。」

(西尾幹二,歴史と民族への責任,正論,平成173月号,136-137

 

[寸言] 河野談話に縛られているのであるから,政府の見解が煮え切らないのは当然である.

 

 

○ 石原信雄元官房副長官の述懐

「当時の責任者の一人であった石原信雄元官房副長官は、「集めた資料の中に強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようとしたが、それがどうしてもなかった。結局、談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六名の証言が決め手になった(筆者注、この聞き取りは非公開で行われ、公表はもとより、証言の裏付け調査を行うことも認められぬものであった)。彼女たちの名誉のために、これを是非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていったことに議論のあることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから弁解はしない。」と語っている(櫻井よしこ「密約外交の代償」、文芸春秋、平成九年四月号。産経新聞平成九年三月九日、朝刊)。

 外交交渉が難しいものであることは理解できるし、時と場合によっては大きな譲歩を必要とすることもあろう。しかし、「やりもしなかったこと」を「やったことにしてくれ」と言われ、それもわずか五十年前のことで、実態の究明が容易にできることであるにもかかわらず、ただ政治的判断によって相手の要求を受け入れ、自国の名誉を末永く汚し続けるような譲歩が許されることであろうか。」

大師堂経慰,「河野談話」の放置は決して許されない,正論,平成177月号,311

 

[補足]実に奇怪なことであるが,元慰安婦からの聞き取りには訴訟の中心になった日本人弁護士が立ち会っていたという.(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(編),歴史教科書への疑問,418,展転社,平成912月)

 

 

○ 日本を貶めようとする執念と工作

 

(米国で起きたこと)

 「昨年2月、カリフォルニア州議会に南京大虐殺を含む旧日本軍の愚挙を教科書に記載すべきとの法案が提出され、議会を通過した。だが、10月、シュワルツェネッガー知事は署名を拒否。反日団体の思惑は外れた。

 反日団体にとってさらなる痛打となった事件があった。それは01年から日本政府を相手に係争していた「従軍慰安婦」訴訟で、今年2月、米連邦最高裁判所が訴訟の終焉となる却下の判決を下したことだ。中国・韓国女性15人は、バージニア州に本部を置く「ワシントン慰安婦問題連合」という非営利団体の支援を受けて活動していた。6年にわたって訴訟を継続したが、最高裁は52年に発布されたサンフランシスコ講和条約で、賠償問題は解決しているとの立場をとった

 不思議なのは、最高裁の判決が出るはるか以前に、「ワシントン慰安婦問題連合」は事務所を閉鎖している点だ。電話も不通だ。‥(中略)‥。

 今春、違った動きがあった。それは反日団体ではなく、アメリカの女性団体が立ち上がって日本政府に「従軍慰安婦」問題の責任を認めさせる行動に出たことだ。それを受けて、44日、レーン・エバンズ、クリス・スミス両下院議員が日本政府に「従軍慰安婦」の公式な認知と責任を糺す決議文を提出した。これは法案ではないので、採択されても日本政府に執行義務はない。

 だが、エバンズ議員の側近に取材すると、今年2月の最高裁判決を知らず、単に市民団体から陳情があったので決議文を作成した事実が判明した。」

(堀田佳男,在米華僑が仕掛けた「ワシントン従軍慰安婦訴訟」も「中国版ホロコースト博物館計画」も頓挫したSAPIO2006614日号,25

 

[寸評] シュワルツェネッガー知事と連邦最高裁の見識は評価するが,アメリカ下院の愚劣さには唖然とさせられる.

 

(日本での「従軍慰安婦法案」の提出は通算7回)

 「あるいは「提出することに意味がある」ということか。今国会に野党3党からまたもや「従軍慰安婦法案」が提出されていた一件である。

 しかも今回で通算7回目の提出というから、その執拗さも異常な域に達している。正式法案名「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」。要は、戦時中の慰安婦問題の責任を国家が正式に認め、慰安婦に対する国家賠償を実現させるというもので、01年から毎年のように提出され続けているが、いずれも審議未了で廃案となっているのは本誌読者ご存じの通り。

 この法案の主唱者が、昨年まで民主党副代表を務めていた岡崎トミ子参院議員である。発議にあたっては「戦後61年目の今年こそ、被害者の胸に届く法案を作りたい」と述べている。氏の経歴を見ると、01年にはわざわざ韓国の日本大使館に出向き、「元従軍慰安婦」と称する人々とともにデモを決行。さらには、ハングルで日本反対と書きバツ印を付けた日の丸の前で拳を挙げている写真も。これでは日本に敵愾心を剥き出しにしているようなものだ。

 周知の通り、従軍慰安婦論争は「強制」ではなかったということで決着している。「強制」を裏付ける確たる証拠は発見されていない。米国においても最高裁が「従軍慰安婦訴訟」を棄却したことで、最終的に決着がついている。少なくとも、新しい材料が提出されない限り、何度も廃案になっている法案を繰り返し提出する公的な理由は乏しい。国会軽視のそしりを受けても仕方があるまい

 もちろん、今国会でも審議未了のまま廃案になる公算が高い。小沢一郎代表のもと、政権交代を目指して意気上がる民主党。その試金石が来年7月の参院選である。その参院民主党から、このような法案を提出するのは今年で終わりにしてもらいたい。」

SAPIO’S EYE,提出することに意義がある?通算7回目「従軍慰安婦法案」提出の愚SAPIO2006628日号,3

 

 

○ 映画「それでもボクはやっていない」の教訓

 痴漢に間違えられて,否定し続けたために起訴され,裁判の間に職を失って人生を狂わされた男が,下級審の有罪判決を逆転して名誉を回復したという奇跡的実話が一時期注目された「奇跡的」と形容したのは,痴漢容疑を否認すると99%有罪を免れないという事実があるからであるその後,周防正行監督が「それでもボクはやっていない」という映画を作った.この映画は,痴漢容疑で有罪の判決を受けた主人公が「控訴します!」と叫ぶところで終わる.

 心ならずもわいせつ行為を認めていれば,すぐ釈放され,名誉を失ったとしても人生が破壊されることはなかったかもしれない.ほとんどの人はその道を選ぶであろうが,後になって周囲に知られて苦境に追い込まれないとも限らない.

 「従軍慰安婦問題」は,後者に該当する.目先の都合で妥協したために,時日が経過した今,深刻な事態に直面している.映画のように,始めから断固戦うべきだったのではないか?ましてや今また事を曖昧にして,同じ過ちを繰り返してはならない.国民はそう思っているはずである.